2003年1月
2003年1月30日

 またまた一週間ぶりのぼうず通信になってしまった。センター試験が終わって、小論文の対策で大わらわの人も多いんだろうな。そこで秘伝をひとつ。
 小論文を練習しようと思っていても、なかなか腰があがらないことがよくあるよね。書かなきゃ書かなきゃと思っている内に時間ばかりたっていく。こういう時の気持ちは何とも言えない。
 気軽に書き始めるコツは、あまり自己批判しないことです。とくに最初は「内容がダメだ」「文体がおかしい」と思わないことが大切。とにかく感じたことをどんな文体でもいいから、次々書いてみる。ある程度の量を書くと、勢いがついてきて、良いアイディアも浮かぶことが多い。
 私は一週間に一回プールに行くんですが、泳ぎはじめて200mくらいは体が思うように動きません。それが200mをすぎる頃から、手や足の動きがなじんできて、少し速くしてみたり、フォームに気をつけて泳いだり、できるようになってきます。
 これは小論文でも同じ事です?

1 まずとにかく書き出してみる。
2 途中でアイディアがわいてきたら、それまでの経緯を忘れて、新しいアイディアに賭けてみる。
3 ある程度いけそうだと思ったら、最初の部分を捨てて、新しい書き出しに書き換える。
4 制限字数を超えてから、十分に時間をかけて吟味する。
5 結論の表現もこの時点で見直す。

こんな順番が、結局一番能率が上がるようです。
 とくにワープロで練習する場合は、このやり方が負担が少なくて書きやすい。手書きじゃなくちゃ本当の文章じゃない、なんて言う人もいるけど、手書きだと文章よりも文字の形が気になったりして、集中しにくい。少なくとも論文では、ワープロで書き慣れてから、手書きに移行する方が文章の形が整いやすいというのが、私の経験です。

2003年1月22日

 一週間ぶりのご無沙汰でした。外は雪ですね。受験生の皆さん、センター試験の結果はいかがでしたか?君たちがヒイヒイ言っている時、私はノンビリと温泉で一年の汚れを落としていました、というのは嘘。この期間中、VOCABOWでは、講座の大構造改革を実施いたしました。

 まず、今まで会員のみに公開していたBASIC講座とトレーニング・ルームを大公開! VOCABOWのシステムのすべてをあなたにお見せします! 徹底的に解説してありますから、大学受験生のみならず、社会人入試の方も参考書としてぜひ活用してください。きっとあなたの知りたいことが見つけられるはず。小論文のダンジョンの中を、ぜひぜひ探検してください。トレーニング・ルームでもたっぷりと汗を流してくださいね。

 第二に、センター試験を終わって、さて小論文の対策をはじめようか、と思っているノンビリ屋のあなた。ほら、あなた! あなたのことですよ! そういう人たちのために、実戦講座の大拡充です! 東大後期実戦コースと早慶実戦コースを用意しました。最近の難関大の小論文は複雑です。

 最後にLast but not least! (どういう意味か分かるね?)忙しい社会人のための完全個別対応講座を解説しました。しばらく文章を書いていない人のために、実力テストから研究計画書の添削まで、校長自らが腕によりをかけて、シカゴ大仕込みの添削をお目にかけます。実力アップ保証の講座です。

 くわしくは各講座のページをご覧下さい。それでは、教室でお目にかかりましょう!

2003年1月14日

理想の職業とは?

 私の家の近所には、日曜日毎に包丁の「研ぎ屋」さんが来ます。木の下に敷物を敷いて座って、近くの人が持ってくる包丁やナイフなどを一日研いでいるのです。weekdayは近くの郵便局に勤めている人らしいのですが、日曜日だけ趣味と実益をかねて研ぎの仕事をするのです。
 私も一度、家の出刃包丁を研いでもらいました。しばらくは魚を切っても、サクサクと切れて気持ちよい。よく切れる包丁は、とにかく幸せです。物事が支障無くすすんで掛け値なくヨカッターという感じがする。近所の人を幸せにして、「研ぎ屋」さんはいい仕事だなーと思います。ただ、夏の間は木陰で涼しそうですが、このごろはやはり寒そう。
 ところで、私の理想の職業は漁師です。朝、船で出かけて魚を捕る。何が網にかかるか分からない。漫画家の白土三平の「野外手帳」(名著です!)によれば、漁師はその日とれた魚を使って、浜でおかずを作るとか。不漁の日はつましく、大量の日は豪華に。自分の捕った物でご飯を作る。ワイワイ言って食べるアウトドアの食事はおいしいだろうな、といつも夢想しているのです。
 でも、自然がスキといいながら、やっぱり都市であくせくする生活を選んでしまう。自然にあこがれながらも、本当の自然には耐えられないのかもしれませんね。皆さんは、どんな職業が理想ですか?

2003年1月9日

 三日坊主通信もはや5回目。はやくも遅れ気味。いやー、書き続けるって大変な労力ですね。皆さんの課題提出が遅れ気味になるのも、分かるなー。
 でも、転がるボールを追っかけていくというのか、暴れ馬を征服する面白さというのか、予想もつかないところに行きがちになる言葉を押さえ込み、なだめすかして、何とか思うとおりの所に持っていく。このスリルが分かってくると文章は楽しい。
 今、日大芸術学部志望の生徒の添削をしているのだけど、彼の書き方は徹底してストーリー派。はじめは、何だかつまらないな、という物語ばかり書いていたけど、このごろは星新一ばりの鮮やかな落ちのあるショートショートになってきた。それまで、彼は二月期の間中、毎週毎週新作を持ち込んできた。工夫していくうちに、苦しみながら落ちを考えるのが楽しくなってきたんだって。
 まー、私もそうなれるようにがんばります。

2003年1月5日

「英会話」な人々の弊害について

 常々思うのだが、英会話が上手いのは特別な人種だと思う。ナチスの強制収容所に、まず大きな穴を掘らせておいて、堀り終えたら埋め戻すという拷問があるのを知っていますか? これは希望を破壊する拷問だという。穴に何かを埋めれば良いのだが、埋め戻すだけだと、掘ったことが徒労になる。その絶望に人間は耐えられないらしい。
 英会話の学習はこの拷問に似ている。簡単な内容をくり返す。つまらないから次々に忘れる。それを克服するために、とにかく何回も繰り返す。シャドウイングという学習法では、人の言うことを後からそっくりそのままくり返す。内容が好きでも嫌いでも、とにかく繰り返せるまで練習する。しかし、こんなことばかり四六時中やっていると、やっばり性格が変わってくると思うよ。
 バイリンではなくて英会話ができる人はみんな似ている。言語的な才能があるというより、むしろ絶望的な訓練に何年も耐えられる性格なのだ。疑問を持たず、いちいち反省したり落ち込んだりしないで、とにかく努力する。極端に体育会系ノリと言ったらいいか。内容より根性だ、みたいな。
 最初にシカゴ大学で英会話学校上がりの日本人学生たちと会ったとき、私は圧倒されてしまった。とにかくパーティトークが異常に上手いんだ。外国人達とにこやかに談笑している姿など、強烈な劣等感を覚えたね。しかし慣れてくると、大したことを言っていないのに気がついた。教授に感謝しているとか、自分のキャリアに役立つとか、要するに、どうでもいい内容ばかりなのである。
 それが分かったら、英会話が下手なのが気にならなくなった。英語と言ったって、結局成績はレポートで決まる。時間をかけて準備すればいい。口頭発表だって、リハーサルをしていけば問題ない。質問があったって、反対意見を予測しておけば、こんな意見だと見当がつく。要するに日本語能力の問題なのね。
 ところが、「英会話」な人々はこういうことが大の苦手らしい。レポートのテーマが決まらない。論理が通らない文章を書く。高度な知識がさっぱり理解できない。躓くところもみんな似ている。だから英会話ができるのに、成績は悲惨なことになってしまう。
 ただ怖いと思ったのは、こういう人々が通訳など、外国人との交渉に当たる職業を志望しているということだ。もしかしたら、日本人には個性がないとか、ステレオタイプだという外国人からの悪評は、外国人たちが、「英会話」な人々と主につき合うという状況から来ているのかもしれない。
 もちろん、私は英会話を習うのに反対しているわけではない。英語が役に立つのは確かだからだ。ただし英会話ベラベラだけを目的としないで、論理力を磨いておかないと後で苦労すると思うよ。

 ところで面白いのは、私の経験では「仏会話」な人々の性格は全く違うことだ。彼らはたいてい文学や美術が大好きで、そういう話を好む。体育会系ではなく、文化系サークルといったところ。しかし、趣味は意外にコンサバで、ちよっと重苦しい。
 「イタリア語会話」な人々はどうなのだろう? やっぱり食べることが好きで、軽くって、歴史好きなのだろうか? 誰か教えてくれると嬉しいな。


2003年1月1日

 新年明けましておめでとうございます。新年から寒い日が続きますが、皆さん風邪をひかないようにがんばって下さい。
 私は旧年30日に冬期講習(代ゼミ津田沼校)の講座が終わり、31日はいつものようにおせち料理を作っていました。煮物と焼豚、牛タンなど簡単な物ですが、一応三段重ねのお重に一杯にならべてしばし満足感に浸ります。毎年食べる前におせちといっしょに記念写真を撮るのだから、気が入っていることが分かるでしょう。自分流のおせちは素朴だけど、苦労しただけに味わいが深いですね。

 ところで、早大人間科学部の去年の問題をご存知でしょうか。「豆の重さとおいしさの関係」についての統計調査の問題点を指摘する、という面白い問題です。主婦と高額所得者と子供が何グラムの豆を好むか、統計を取るのです。どの集団も平均5gの豆を好むという結果が出たので、「5gの豆がおいしい」という結論を出した。さて、この調査のどこがおかしいのか? クイズとしても、よくできています。人間科学部の問題はこのごろ調子良いですね。
 しかし、この問題を生徒の皆さんにやってもらうと、一番多い答えが「味覚という物は個人の主観的な感覚だから、統計調査しても仕方がない」です。私が見た答案のほとんどが、このように書いていました。
 これには、驚いちゃいました。もちろん、この答えは全く間違い! 逆に主観的な感覚だからこそ、統計調査をする意味があるのです。もし客観的に、あるいは論理的に決まってしまうものなら、実際に調査するまでもない。それぞれ好みが違うから、実際に調査しないと傾向が分からないのです。テレビの視聴率などその典型ですね。

 ここには、個人の主観は計測できないユニークなものだという思いこみがあるようです。自分の感覚の絶対化というか、つい神聖化して考えてしまう。でも、主観でも統計を取ってみると、そこにも何らかの傾向が現れる、というのが社会現象の面白さです。「おいしさ」というミクロ的にはバラバラな現象でも、マクロ的に見てみると違うのです。社会科学的な思考は、こういうところから始まると思います。
 早大の問題もチャレンジしてみると面白いかも。小論文の問題には珍しく、正解が一つに決まります。問題を読みたい人は下のアイコンをクリックして下さい。

早稲田大学人間科学部問題pdf


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