2003年10月

2003年10月29日

 昨日、六本木ヒルズの美術館MAMの開設展「Happiness(ハピネス)展」に行ってきました。鳴り物入りで開催されたので、美術館フリークの私としては、どんなもんか、と思って見に行ったのです。
 第一印象は、「おっ、なかなかやるな」という感じでした。とにかく一つ一つの作品のレベルが高いのです。ゴーギャンもイヴ・クラインも若沖もアンコールワットの石像もある。長谷川等伯のボヤッとした松もある。名作が目白押しです。「こんな色々見れるなんて、ちょっと得したかな」という気になってしまう。
 ところが、だんだん疲れてくるのです。とにかく盛り沢山。絵画に彫刻、インスタレーション。一つの部屋を終わると、また次の部屋がある。これで終わりかと思うと、もう一つ部屋が続く。やっと出口に着いたので、やれやれと思うと下の階にまだ展示室があるという。もういいかげんにしてくれよー! 「金にあかせて集めた」というか「成金趣味」というか「ポリシーがない」というか。
 昔、金属バット殺人事件というのがあって、受験生の男の子が親をバットで殴って殺したのだけど、その日の家族の夕食がしめ鯖とカレーライスだったとか。あまりにも統一感がないのでびっくりしたのだけど、それに近いよね。作品同士がうち消しあって、全体がぼんやりする。だから、若沖の屏風もあるのだけど、まったく印象が薄い。一昨年だったかな、京都の博物館で見たときは「すごい!」と思ったのに、今度はいっぱいの作品に埋もれて、さほどよいとは思わない。
 一つ一つの作品はレベル高いのに、それをくくるキーワードが安直なのです。「調和」とか「欲望」とか、曖昧な言葉ばっかり。しかも、まとめ方がいい加減なので鼻白む。「欲望」のコーナーに何があると思います? 浮世絵の春画と昔のインドのセクシャルな絵画。こんな安易なこと、よく考えたよね、プロのキュレーターが。それでいて、最後のタイトルは「終わりなき旅」。幸福は一人一人が探すものです、だってさ。思わず、ずっこけちゃいました。
 こんなの、ほとんどアートの見せ方じゃないよ。単なる広告的な手法だよね。「おいしい生活」とかいい加減なコピーを並べて、結局は店の紹介をしているだけっていうイメージ広告があったよね。商売人が、多少勉強したのは分かるけど、「お客を動員すればいいんでしょ」という態度が透けて丸見え。
 とくに最悪なのが、美術館のスタッフです。お揃いの黒服を着て、バブル時代のクラブのスタッフやホストクラブまがいで、やたらと規則にだけはうるさい。よく分からないのに「近くに寄るな」とか「切符に不備がある」とか、文句を付ける。私たちは招待券で行ったのだけど、招待券も知らないスタッフ達なんだよ。研修で自分のポジションのことだけを教わり、マニュアル通りに守っているんだね。だからマニュアルの想定問答にない事は極端に分からないんだろうな。みんな森ビルのシステムに寄りかかっているだけで、自分で考えてない。これだと、巨大な森ビルのシステムが一番偉い、という感じだね。
 頑張っているのは分かるけど、どっか勘違いしているよね。良い美術館が本来持っている自由で楽しい感じも強制的で、東京の感じ悪い美術館ナンバーワンに決定! もう憤懣やるかたない気持ちでした。今度いつか、楽しかった美術展の話をしますね。

2003年10月19三日

読書について

 最近はとにかく忙しいので、読書できる時間は実は通勤途中しかありません。でもこの時間が積もり積もるとかなりな分量の読書ができるのですよ。
 昨日、ずっと通勤途中で読んでいたM. バフチンの「ラブレーとその作品」を読み終わりました。もう二ヶ月近く読み続けていたので、もうすぐ終わり(! )ということになるとそれだけで嬉しい。水泳で800m泳ごうと決めると、400〜500mぐらいはかったるくてペースも落ちるけど、700mを過ぎるあたりからまた元気が出てくるようなものです。さて、この次は何を読もうかと考えるのもけっこう楽しい。あれにしようか、これにしようかと迷ってみる。本当は意中の本はもう決まっているのだけどね。マラソンが好きな人も走り終わったとたん「次は何の大会に出ようか?」と予定を立てるときが楽しいと言います。
 「ラブレー」の前は、M. フーコーの「臨床医学の誕生」とバフチンの「ドストエフスキーの美学」を読んでいました。その前はドストエフスキーの「罪と罰」「白痴」「悪霊」「カラマーゾフの兄弟」などにはまり、さらにその前はJ. オースティンの「高慢と偏見」、A.コジェーヴの「ヘーゲル読解入門」。おやおや、こうして思い出すと、この一年は相当ヘビーなものを読んでますね。しかも読書傾向がめちゃくちゃ。とりあえず、何か厚めの本を一冊決めて英語またはフランス語で読み通すというのが、ここ十何年かのポリシーになっています。この次は、フーコーの「言葉と物」にしようとひそかに考えているのだけど、フランス語の厚いのは辞書を引きながらだから、半年がかりだろうな、とちょっと二の足を踏んでいます。
 こういう通勤読書スタイルが、実は一番読書の楽しみを味わわせてくれます。電車の揺れながら進む感じが読書の進む感じとぴったり合う。バスじゃ揺れすぎて、眼が痛くなる。それに、周りに沢山人がいるのに自分だけ集中している感じも好きです。身体が窮屈なのがいいんですね。昔、納戸に隠れて、本を読んでいた記憶などがよみがえる。それに外国語の読書というのも大事な条件です。どうしても日本語と違って、最初から最後までややゆっくりめの速度で読み進むからです。そうすると、早く読んでいたときには気が付かなかった面白さや美しさに気が付く。日本語だと、つい速く読んでしまって単なる情報になってしまうのですね。英語やフランス語で読むのも気取りではないのです。

2003年10月11三日

 10月になってから、しばらく三日坊主を書きませんでした。原因は、「忙しくて書く時間がないから」、だけではないのです。来年の秋口までに五冊の本を出す予定なので、忙しいのは当たり前なんです。問題は、書くと何だか愚痴っぽくなっちゃって自分でも気にくわないのです。今まで何本ボツにしたことか。たぶん愚痴っぽくなる理由は、秋が私を呼んでいるのに行ってあげられないからなんです。秋、もちろんキノコですよ。
 今年はお米が不作だから、キノコの出来はいいはずだけど、(そういう法則があるんです! )ちっとも採りに行く機会がない。私は岩手の育ちなので、自然に触れていないとダメなのだけど、この頃はアスファルトとコンクリートしか見ていない。そんな風にしていると、やたらと緑や土が恋しくなってくるんですね。気が付くと、つい草や木に目がいってしまい、その下の方にキノコを探してしまうのです。日曜も朝から原稿を書いているので、ゆっくり散歩に行く時間もないなんて…。ほら、いけない。愚痴っぽくなってしまうでしょ。
 でもvocabowにはたくさん受講者が来ています。10月は勉強のシーズンだとか、とくに来年の法科大学院小論文の受講者が多い。たしかに適性試験を突破した後は、小論文がどこでも必須で、それが合否を決めると言ってもよいのだから、当然でしょうね。
 これから法科大学院の試験というのは、文科系の試験の一つの中心となっていくのでしょうね。これに通っておけば、エリートの証明になるという感じでしょうか。数年前まではMBAがブームでしたね。今では法科大学院のブームにMBAは少し押され気味かもしれません。アメリカではMBA取得者はたくさん居すぎて、かつてのように華々しい就職をするのは難しくなってきたそうです。でも、日本では、まだMBA取得者は花形みたいですね。こうなると資格は早くとってしまう方が得かもしれませんね。みなさん、がんばってくださいね。
 そんなことを思いながら窓の外を見ていると、東京でもジワジワジワジワ紅葉が進行しているようです。秋の実りが私を呼んでいるような気がしてならない。次の週末は、遠くには行けそうにないけれど、家の近くの公園にいってきます。