2003年4月
2003年4月24日

 新学期が始まって、やっと二週間。ようやく体が慣れてきました。一番最初の週はすごく緊張します。どんな感じのクラスなのか、分からないからです。まじめなのか、やる気がないのか、暗いか明るいかなどなど、とにかくドアを開けて入ってみるまで分からない。ドキドキものですよね。未知との遭遇!?
 私は大学でも教えていますが、今年は何と50人もの学生がクラスに入ってきた。私の受け持っているのは「表現演習」と言って、日本語の朗読とか発声を実際にやらせるクラスなので、50人もの学生の統率が大変です。全員女の子なので、すぐ友達同士でおしゃべりをし出す。そうはさせまいと、こちらも大声を張り上げる。しかし、多勢に無勢。私の声もかき消されがちです。元気がいいのは結構だけど、これで授業が成立してるのかね。ふと不安になってしまいます。
 でもおもしろいこともある。今年の一年生は中国・台湾・韓国からの留学生もけっこう多いのです。歌を歌わせたら「春が来た」を知らないと言う。考えてみれば不思議はないのだけど、顔だけ見ると日本人と変わらないから、こちらがとまどってしまいます。うーむ、日本もけっこう多民族社会になってきたなー、とグローバリゼーションを肌で感じてしまいます。

 そういえば、この間経済学者のスティグリッツの「世界を不幸にするグローバリゼーションの正体」(しかし、何という題名だろうね)という本を読みました。これがなかなか面白い本でした。彼はグローバリゼーションを基本的に肯定する。なぜなら、グローバリゼーションが進んだおかげで、物や人の交流がさかんになり、明らかに豊かになったからです。では、なぜ、グローバリゼーションは現在恨まれているのか?
 それはIMFが教条的な自由主義イデオロギーに毒されているからだと言うのです。とにかくむりやり競争社会を作ろうとして、資本市場を自由化したおかげで、欧米の短期資本が入って地元の経済をめちゃくちゃにするという構図になってしまう。しかも経済が失速しているのに緊縮財政にしてしまうので、ますます景気が悪くなる。スティグリッツは、IMFの理事は19世紀の経済学にしがみついて、ケインズ経済学を無視していると言います。中国のように、IMFの言うことを聞かない国の方が経済がうまくいっているのだそうです。
 グローバリゼーションについては肯定・否定いろいろ極端な意見があるけど、この意見はプラスとマイナスをきちんと整理していて、けっこう説得的ですね。

2003年4月17日

 ずいぶん長いこと書いていませんでした。本当に三日坊主ですね。新学期が始まってバタバタしていたのと、新しい問題集(桐原書店)の校正などで余裕がなかったのが原因です。でも、四月を迎えてvocabowにもたくさんの新しい参加者が来ました。これから一緒に頑張ろうね。
 さて、昨日は忙しさにも負けず、映画に行って来ました。ポーランドの映画監督キシェロフスキの「終わりなし」です。一般的にはフランスで撮影した『トリコロール』で有名だけど、実を言うとフランスに来る前に撮ったフィルムの方が格段にいいのです。『殺人についての短いフィルム』『愛についての短いフィルム』なんて最高でしたね。
 とくに『愛についての短いフィルム』は引きこもりの青年が望遠鏡で向かいの部屋の中年の女の人を覗く、というシンプルな筋立てです。彼女には恋人がいて、そのラブシーンなども見てしまう。毎日覗いているうちに、ついに女の人にそのことを告白してしまう。当然女の人は怒るのだけど、今度は彼女の方がその青年の存在が気になって仕方がない。「覗き」という薄い薄い関係が、次第に相互関係として濃密になっていく様が描かれていて、微妙な雰囲気があってよかったなあ。
 今度の「終わりなし」は心臓麻痺で死んだ弁護士の夫が残った妻を見守る話です。これがまた独特な展開。ハリウッド・ムービーだったら、幽霊の恐怖に焦点を絞りそうなのに、そんな陳腐な展開は全くなし。むしろ、幽霊は淡々と妻のそばにいるだけで、ストーリーはいつの間にか、夫が担当していた被告の裁判の話がメインに進んでいく。なんだなんだ、幽霊話はどうなっちゃったんだ、と言いたいくらい「散漫」(?)。
 結局妻は最後に自殺して、夫の後を追うのだけど、自殺の場面が面白かったなー。窓をガムテープでふさいで、ガスの栓をひねる。その前に、自分の口もガムテープでふさいで、ガス・オーブンの前にちょこんと座る。普通なら道行きの場面だから、もっとロマンティックに歌いあげたっていいのに、ガムテープですよ。きれいな女優さんなのに何と身も蓋もない。しかし、そのシンプルさと貧しさが何ともリアリティがある。日常の中に、死がそのままごろんとあるというのか。
 そういえば、前にポーランドの演劇をいくつか見たのだけど、死んだお父さんに息子が会いに行く話だとか、老人達が小学校の教室に集まって昔を思い出すとか、英会話の授業の中で生徒がおかしくなっていく話とか「面白変な」筋書きばっかり。何なのでしょうね、この感覚は、ドアを開けるとそこには死があるというのか…あまりにもさりげなく生と死が同居している。恐怖でコテコテに固めたハリウッドスタイルの対極にある表現。でも、その何気なさがかえってグッとくる。この感じは後を引くね。恐怖で死を飾るのはかえってカタルシスになって、死を見つめる姿勢にならないのかもしれないですね。ハリウッド的ホラーはあまりにもステレオタイプ過ぎて、食傷気味だよ。


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