2003年7月

2003年7月29日

 世の中が忙しくなってきたせいでしょうか、この頃vocabowの受講者の中で、課題の提出が遅れている人が出はじめています。確かに小論文を書くのは、時間がかかる。三時間もかかるので、もっと能率的な勉強法はないですか? なんて言って来る。残念ですが、文章書くのに、そういう良い方法はないのですよ。文章書くのが速くなるためには、書きまくって慣れる他ない。
 私だって文章にはトラウマがある。なぜって、小学生の時、作文は全部母親に書いてもらっていたのだもの。絵を描くのは好きで、言われなくてもあれこれ工夫していたのだけど、とにかく作文の時間というのは困ったねー。一時間原稿用紙とにらめっこしていても、何も浮かばないのです。二行ぐらい書いてキンコンと鐘が鳴り、宿題として持ち帰ることになる。でも、家で二時間机に向かっても、もう二行ぐらいしか書けない。途中で本を読んだり、化石の標本をいじったり(その頃は化石を集めていたんです、いじけた少年だったのかなー)、いつの間にか十一時になっている。母親が見かねて「もう寝なさい」と声を掛ける。そうすればしめたもんです。朝になると魔法のように作文が出来ている。それも小学生らしいのびやかな名作文になっている。母は偉大ですね。朝になって、それを書き写して学校に行く。もちろん、国語の点数はいつも5でした。
 一度などは、「夏休みの思い出」という題名で、祖父と行った夏休みの北海道旅行を教師に書かせられることになった。教師は私が作文が「上手い」のを知っていて、書かせようとしたんだろうな。いつものように書けなくて、また母親が書いてくれた。ところが、これが「作文みやぎ」という教育雑誌の金賞になってしまった。これは困ったなー。金賞の理由が「小学生離れした比喩を使いこなしている」だもの。そりゃそうだよね、母親が書いたんだから「小学生離れ」は当たり前だ。こういうのを「逆ギレ」と言うのだろうけど、やっぱり母親を恨んだね。表彰式だとか、いったいどういう顔して賞状を受け取ったらいいんだ! 居心地悪いこと、悪いこと。中学校になったら、こんな恥ずかしい過去とはきっぱり手を切り、作文だけは自分で書こう、と心に決めたのでした。そんなわけで、中学校一年の時は自分で書いて「成績はまあまあだけど、作文がへたくそなヨシオカクン」というアイデンティティをみんなに確認させることから始めたのでした。でも、中学校は小学校ほど作文を書かせる授業がなくて、それも助かったのでした。
 こんな私が年月を経て、現在では原稿を書いて幾分なりとも印税などというものを得ているわけです。趣味でなく文章を書き始めたときは、もう十二、三年前になるかな、仕事を頼んできた先輩から筆が速いと言われて、まずびっくり。その後、ゴーストライターで心臓病の本を書いたり(今はベストセラー連発でとても高名なお医者さんの…。内容はあまりにデタラメを書いたので、この本を読んで何人の人が心臓病をこじらせて亡くなったのかと思うと、今でも胸が痛む)、ゲーム本を書いたり、注文されたことは何でもやった。TBSで恐怖ドラマの台本を二年ほど書いていたこともありました。ある週刊誌からアンカーマン(記事の最後をまとめる人です)を頼まれそうになったこともある。「そんなことができる人間じゃありません」とあわてて断った。それでも、自分で多少文章が書けるかなって思い出したのは、ついこの頃のことです。ほんとに世の中って分からないものですね。

2003年7月25日

ある日のキノコ日記 白い妖精オオイチョウタケとの遭遇
 今日もどんよりとした梅雨空。キノコ狩りにはもってこいの日和だ。今日こそ何か出ているような予感がする。いつものように大学の裏山を登る。中庭から階段を上がると、すぐ鬱蒼たる森に入ることが出来る。「散策路」なんて朽ちた看板が出ているが、どうせ学生なんか散策しやしない。よい山道なのに、私はこの道で人と出会ったことがないのだ。今のところ、私だけのキノコ採集ルートである。
 どんな山でもそうだが、その場所と結びつけるキノコがある。奥会津ならハナイグチ、奥日光ならマスタケ。もちろん、これは私だけの採集体験と結びついているので、他の人ならきっと違うことを言うだろう。
 ここなら、何と言ってもオオイチョウタケだ。去年の秋9/26に大群落を見つけた。白いキノコが群がって生えていたので、ちょっと採ってみたのだが、最初は何だか分からなかった。家に帰って調べてみたら食キノコとある。菌の香りがすっきりしていて美味い。おろし和え、スープと何でもござれである。
 そこで一週間後、満を持して裏山に登ったのだが、残念! もう大部分が腐っていた。それでもだいぶ採ってきてゆでておいたのだが、今度は火を入れるのを怠っている間に大部分を腐らせしまったのだ。それ以来悔しくて、9月の月末になったら絶対採ってやろうと一年間満を持して待っている。

 しかし、オオイチョウタケにはまだ季節が早い。最初に目指すのは、ナラタケを何度かみつけた枯れ木である。もう根元が真っ白に変色しており、いつでもキノコが出ても良さそうなのだが、なかなか出ない。うまいキノコなので、いつもチェックしているのだが今日もダメだった。
周囲を見ると、ドクツルタケが生えている。真っ白な丈の高い美しいキノコで、食べると確実に死ぬという猛毒キノコ。英語名をKilling Angelという。だが、これが出ているときにはたいていタマゴタケも生えているから、それなりの価値がある。今日はドクツルタケがやたらと多いので、タマゴタケを期待できるかもしれない。と思うと、道ばたにひっそり、いや派手派手に一本、二本。ちょっと開きすぎだけど、美味いからまあいいや。二、三本見つかれば、とりあえずスープに出来るから。
 しかし…見よ!! 分かれ道まで来ると、真ん中に白いキノコが大きな菌輪になって生えている。ドクツルタケは一本ずつしか生えないから、これは毒キノコではない。神は我を見放さず、オオイチョウタケだったのである。このどんよりした梅雨空に、神は私に白い妖精オオイチョウタケを遣わしたのであった。
 私は走った! 携帯電話を忘れていた。この大菌輪をカメラに納めでなるものか。息を切らしながら、講師室に戻り携帯をひっつかむや、また50メートルを駆け上る。大菌輪に向けてシャッターを切る。カシャカシャカシャ。気が付くと、そこにヤブ蚊の大群。見ると私の右手には都合六匹のヤブ蚊が今まさに血を吸わんとするところであった。それを叩きつぶしながら、なおもシャッターを切る。
 キノコは生えているだけだから、シャッターチャンスなどないのだけど、何しろヤブ蚊が群がってくるので、急がねばならない。ああ、マツモトキヨシで先週虫除けスプレーを買っておけば良かった…。カメラアングルは引きで菌輪全体を入れ、寄りで一本一本の姿をおさめる。あ、三回刺された。蚊を追い払おうと、手を振り回しながら撮るので、なかなかカメラが定まらない。二、三枚会心の写真が撮れたのを確認してから、やおら採集にかかる。意外に落ち葉に深く根が張っている。
 持ってきたビニール袋はすぐ一杯になる。深く満足しつつ、また山道をとことこ。すると、またオオイチョウタケの菌輪。その数およそ50本。うーむ、今日は大漁と見える。やはり今までの毎週の精進が報われたのであろう。また撮影、そして採集。この頃になると、体には大量の汗をかいている。Tシャツはべっとりと肌にまとわりつく。しかし、この満足の前では汗など意味はない。しかし、耳たぶを触るといつもの三倍ほどに膨らんでいた。

「料理法」
 オオイチョウタケの食べ方は、まずおろし和え。大根下ろしにゆでたキノコを混ぜるだけ。キノコのさわやかな香りが良い。次ぎにオリーブオイルで炒めて、これも炒めた牛肉の上にのせる。キノコのソースという感じで、芳醇な味と香り。もちろん、ゆでた汁は捨てないで、そのままスープにする。ここまで来ると、キノコの香りでむせかえりそうになる。キノコづくしのコースでした。

2003年7月13日
 昨日「詩のボクシング」全国大会に行って来ました。「詩のボクシング」って知っていますか? リングの上で詩人が自作の詩を読み合い、どちらが勝ったかと判定するゲームです。昔からある歌合わせの現代版なのだろうけど、去年行ってとても面白かったので、今年も聞きに行ったのです。去年はけっこう熱戦で、少女の純粋さをアピールする巫女さんタイプ、デタラメ言葉に執着して延々と繰り出す青年、七色の声音を駆使する中年のおじさんなど、多種多彩でウィットが効いていて楽しまされました。

 今年はどうだったか?  うーん、二年しか見ていないので確定的なことは言えないけど、去年よりも楽しめませんでしたね。まず、内容のバラエティが極端に狭くなっている。ほとんどが自分の家族のことを歌っている。生活や実感を大切にするのは分かるけど、なんでこんなに狭い世界にみんなで閉塞しちゃうのか。それに妙にセンチメンタルだ。家族の死を扱っている詩が多かったのだけど、こういう題材は難しい。当人にとっては大事件なのだろうけど、聞いている人にとっては「可哀想ね」とお愛想を言う他ない。きっと自分の家族が死んだら悲しいだろうけど、他人の親が死んだ話を聞いても対応のしようがないのです。いくら悲しそうに訴えられても、その悲しさは自分のものにならない。
 詩人の大岡信は「自分にとって大きな事を伝えたいときに最大限の言葉を使ってはならない」と言っています。「最大限の言葉」は、必然的にステレオタイプになるからです。「とても悲しい」と「とても」をいくつも付けたところで、悲しみは大きくならない。気張っている本人の姿が強調されるだけです。だから何らかの工夫が必要になる。それが詩という形式でしょう。でも「詩のボクシング」の家族や死を扱った詩は、その工夫がない。ちょっと言葉や表現に対して素朴すぎないか。
 以前、「ポエム」という素人が失恋や日常を歌った「詩もどき」が流行ったことがあった。ポエムでは、自分が感じたことを、何の技巧も無しに、陳腐な「愛」や「大切」「この世でたった一つの」などの手垢にまみれた言葉で表してしまう。「君は僕のたった一人の恋人」「世界で一番愛している」とかね。でも、こんなことを言っていても、失恋したら次の恋人をすぐ見つけるに決まっている。そこでまた「世界で一番愛している」と言う。他人に見えてくるのは、「世界で一番愛している」ではなく、こんな無責任なことを言ってぬけぬけとしている本人の姿なのです。もちろん、「これが究極の恋愛だ」と思いこみつつ何回も繰り返してしまうのは、仕方のないことだ。でも、せめてそんな自分のコッケイな姿に自覚的でありたいと思わないのかなー。本人は恥ずかしくなくても、見ている方が恥ずかしくて困るよ。

 きっとこの人達は、自分の言葉は自分の自由になると勘違いしているのでしょうね。思ったことは、そのまま言えば、自分独自の表現になると思っている。そうではないんだ!  言葉はまず世間の力学のコントロールにあるものだ。「悲しい」という言葉は、世間一般の意味しか盛られていない。そこに自分の実感をそのままのせようとしても、すぐ陳腐な意味に変換してしまう。そういう不自由なメディアを駆使して、自分の実感を表現する。だから、実感はむしろ言葉と言葉の境目にある。それを表すには、言葉を組み合わせてぶつけて、そこに一瞬の言葉にならない隙間を作る他はない。それが独創性と言うことではないのか。自分が素直であれば独創的だと思っている人間ほど、陳腐な人間はいない。
 そういえば、準優勝になった人が「私は人と話しているとどんどん言葉が生まれてくる方で」とどこか得意そうに語っていた。きっと、こういう状態を詩人の資質だと思っているのでしょうが、逆でしょう。それは言葉の自動的な意味作用で生まれてくる妄念に過ぎない。そんな表現は、さっさと捨ててしまった方がよい。詩人に必要なのは自己表現ではなく、むしろ自己批評なのだと思います。でも、こんなことを言っても「自己表現マニア」の人には絶対伝わらないんだろうけど。
2003年7月12日
 10日11日と富山・宇都宮に代ゼミ(日本入試センター)主催の小論文講習会に行って、高校の先生相手にお話ししました。富山も宇都宮も50名以上の方が出席され、終わってからの質疑応答もチョー活発。小論文の方法には、皆さん迷っているようで、結構密度の高い講演会となりました。でも、もうちょっと時間が欲しかったなー。せめて二時間は話させてくださいよ。そうしないと、駆け足で紹介しちゃうだけになってしまう。

 富山は今から二十年ほど前に行ったことがあるのだけど、ずいぶん変わっていましたね。あのころは、駅前に市場があって、そこで富山湾の取れたての色とりどりの魚が並べられていました。私は市場が好きで、新しい街に行くと必ず市場を見に行きます。食いしん坊でその土地その土地の珍しい食材に興味があるからですが、そればかりでなく市場には人が集まる独特の活気があるからです。しかもそれが食欲という単純明快なものをめぐってであるため、陰湿ではなく明るい。安心して、その活気に身を浸すことができる。
 今は市場を観光資源としてとらえる地方自治体も増えてきたみたいだけど、私は前から「町おこし」「村おこし」として、もっと市場を活用すべきだと思っていた。にぎやかで無秩序で迷路のような空間は、少なくともあの欺瞞だらけで病的なディズニーランドよりずっと面白い。
 昔、モロッコのマラケシュに行ったことがあるのですが、そこのジャマ・エル・フナ広場はすごかったですね。生のオレンジを絞るジュース・スタンドがずらっと並び、羊の脚ばかり食わせるシチューの屋台があり、カタツムリのスープを売る屋台は二十台以上がずらりと横に並んで、売り手の兄さん達が皆白衣を着て、一斉にカタツムリをかき回す壮絶なパフォーマンスを行う。地面には薬売りが「ガマノアブラ」さながらの口上を述べ、赤焼きや緑のまか不思議な薬を調合する。と思うと、悪魔のような格好をした蛇使いが笛を吹きながら蛇に芸をさせる、などもうムッチャクチャ。しかしそのぶっとんだカオスぶりが、心地よい。毎日行って、オレンジジュースのはしごをしていました。

 もちろん、二十年前の富山の市場はそこまでカオスではなかったけど、粗末な店とちょっと粗暴な売り声は、人間の健康な欲望が噴出しているという感じで良かったのだけどなー。今回行ったら、綺麗なビルの中の地下にちんまりと入っちゃって、しかも、魚屋が二店しかなくってさびしいことさびしいこと。魚屋はやっぱり何店も軒を並べて威勢よく売らなくっちゃ。「そんな弱々しい声じゃ、魚が腐っちゃうよ」という言い方が昔あったけど、今の富山の駅前は魚がはじめから干物か冷凍になっている感じです。
 こういうのを見ると、日本の近代化はどこか人間の生命力をそいでいる感じがするね。石川淳の小説「焼け跡のイエス」の闇市が持つ圧倒的な迫力をもう見失ってしまったのでしょうね。女の人の子供を産まない責任を云々する前に、こういう近代化がもたらす雰囲気が少子化の原因じゃないかしら、と思うのです。ただ、その店で買った夏牡蠣の味は、昔と変わりなく、いやそれ以上にむっちりと甘く最高の味でした。富山に行って良かったーと実感した次第です。
2003年7月6日
 まだ梅雨が続いています。「雨が降り続いてイヤ!」と出会う人は挨拶のように言うけど、私は梅雨が好きです。なぜってキノコが採れるから。意外に知られていないけど、梅雨の時期はキノコのけっこう豊富な時期です。今週は、講義に行っている東京家政学院大学の裏山でタマゴタケとクロハツを見つけました。

 タマゴタケって知っていますか。傘は真っ赤、柄はまっ黄色でビラビラがついていて、根っこは真っ白な卵状の物質で覆われている。見るからに毒々しい色と形だけど、これが食べられる。しかもおいしい。煮るとみるみるお湯に赤い色が溶けだして、キノコはオレンジ色に色が抜ける。ちょっとだけ塩を補えば、ほんのりと出汁が利いて、上品なコンソメになる。身の方はサラダにして食べたけど、シコシコして旨かったなー。私は子どもの頃から、このタマゴタケの「毒キノコそのものなのだけど、美味しい」というフェイクっぽいキャラクターが好きであこがれていたのだけど、このところ、毎年のように見つけることができて幸せです。

 クロハツは、それに対して地味なキャラクターです。傘の色はグレーがかった茶色というか、落ち葉の中に埋もれていて、よく見ないと分からない。このたびは大学内のゴルフ練習場横で見つけました。しかし、このキノコが見かけによらずアブナイ! ほとんど同じ姿格好をしたニセクロハツというのがあって、これは猛毒なのです。致死量は一本! 見分ける方法は、肉を裂いてみると切り口が赤く色づくのだけど、それが黒く変わればクロハツ。変わらないままだとニセクロハツ。何という微妙な違い。生きるか死ぬか、たったこれだけで決定されてしまう。目の前に「死」への入り口がさりげなくある、という感じ。一応、取ってきてはみたものの、食べる勇気が出ず捨ててしまいました。でも、清水大典さんという権威は、毒キノコの症状を身をもって確かめるため、致死量寸前まで食べたとか。すごいね。

 私が最初にキノコに注目しだしたのは、はじめてキャンプに行ったとき。帰りに黄色の大きなキノコが道ばたにドサドサッという感じで数十本、無造作に生えていた。「どうせ毒キノコだよな」「食べたら笑いが止まらなくなっちゃったりして」キノコというと、毒という言葉しか思い浮かばないなんて、ステレオタイプの極みですが、道行く人がそんな言葉をちらほら。私も何となく怖くて、そのままにしてきた。しかし、気になって帰ってから、図鑑で調べてみたら、これが「柄の肉はかたい繊維質できわめて歯切れよく舌触りもよい…」。食べられるキノコだったのです。畜生、取ってくればよかったのに、と今でも夢に見ます。
 しかし、どうもこの時、胞子が脳の中に入り込んだらしい。以後、トイレにキノコ図鑑を置いて、毒キノコと食キノコの判別にいそしむ日々が続いたのであります。

 図鑑で養った目で見てみると、結構食べられるキノコってあるものです。最初にカヌーを持っていった日光の湖で、サクラシメジやマスタケなど美味しい種類を見つけたからでしょうね、完全にはまってしまいました。それからキャンプサイトは福島県に移り、そこでクリタケ、アミタケ、エノキタケ、ムキタケ、キシメジなどなど有名なタイプにことごとくお目にかかり、さらに私の住んでいる東京都内でも、よく見るとキノコが生えている。こうトントン拍子に行くと、採集も楽しい。取るたび毎に図鑑に日付と場所を記した付箋を付けていたのだけど、もう100枚以上はついています。これが、また武器になる。キノコは毎年同じ時期同じ場所に出ることが多い。一週間と違わない。したがって、毎回採れる。律儀な生物です。目も鼻も口も感覚器官などないのに、いったいどうやって出る時期を測っているのか。

 私の場合、食いしんぼがこうじてキノコ採集になったという感じ。とにかく食えるキノコじゃないと興味がわかないのです。一つ一つ味が違うことが、探求心をくすぐる。前にバイトしていた中華料理店のマスターが釣りに凝っていたとき、「肉は飽きるね。魚は一つ一つ味が違っていて楽しい」と言っていたことを思い出します。自然の多様さと触れるというのだろうか? その意外性がうれしいのです。