2004年2月
2004年2月18日

 私の住んでいるマンションには、入り口の所にちょっとしたスペースがあり、そこに何人かが座れるようになっています。夜には、そこに塾帰りの子供たちが集まって話し込んでいる。中学生ぐらいの子たちが多い。この年頃の子供たちは、意味もなく集まることが好きです。会って何をするわけでもないけれど、とにかくみんなで輪になっているのが楽しい。私も中高生の時には覚えがあるから、ああやってるやってる、という感じでした。
 ところが、そういうのを嫌がる人がいるんですね。ある日「たむろしているのを見たら警察に連絡しましょう」なんて張り紙がしてある。「火を使った後があって、危険です」「住人以外の使用を禁止する」なんて張り紙もある。そういう張り紙が日増しに増えてくる。そのうちに、エレベーターに乗った人が「中学生が集まって恐いですねー」なんて話しかけてくる。
 冗談じゃないよー! と私は思うのです。子供たちが集まるのは当然だ。たむろしている奴だって、誰か友達を訪ねてきて入り口でうろうろしているわけです。ストリートでなくて、自分の住んでいるマンションで集まるだけ安心じゃないか。それを言うに事欠いて「警察に電話しましょう」とは何事か! タバコでも吸っていたら、住人の大人がやんわり注意すればいいんです。みんな中学生くらいに大人のすることに興味を持つでしょう。警察に通報したらかえって恨まれるのが分からないのか。
 ボカボの長谷さんが話していたのですが、「むしろこんな事を平気で言う大人がアブナイ!」。私も同感です。「危ない中学生」とかいうメディア報道に躍らされて、単なる子供に怯えてしまう。たしかに神戸の殺傷事件の犯人は中学生だったけど、あれははっきり言って病人です。何万人もいる中には、ああいう子だって必ずいる。それを、中学生がみんな人を殺傷するという思いこみを持ってしまう。そういう人は「外国人は危ない」とか「汚い」とか、平気で差別発言をするんです。
 彼らはいったい何を怯えているのだろう? 大人が、個人として体を張って物事に直面するという感覚がなくなって、不都合は何でもシステムや社会が解決してくれると思っている。こういう傾向の方が無責任で危険じゃないかと思う。私は入り口にベタベタ張ってある張り紙を見るたびに腹が立って、引きちぎりたくなるのですが、そうすると今度は私が「危ない人」として排除されてしまうんでしょうね。社会に依存して自立していないのは大人の方なんだな。大人の怯えがいたずらに子供や未知の人達を悪者にしていることに気づくべきだよ。

2004年2月4日

 法科大学院などの受験者から、続々合格者が出ています。良かったですね。おめでとう! 詳細は「合格者の声」にありますので、見てください。合格率はかなりよい方じゃないかな、まだ最終結果じゃないので計算していないけど。vocabowの小論文教育システムの的確さが証明されたようで、私もうれしいです。

 しかも特徴的なのは、10回、20回と辛抱強く添削回数を重ねた方が受かっていることです。逆に志望理由書だけ添削受講したけど小論文は時間がなくて受講できなかった、などという人は一次選考は受かっていても、二次ではやや苦戦気味。この傾向を見ると、やはり「継続は力なり」が証明されていますね。

 今までの私の経験からすると、まず10回目前後に一つの山が来ます。そこで、急に伸びる人が多いですね。この間受かったHさんもそうです。最初の5回はなかなかペースがつかめなかったみたい。でも、7〜8回目ぐらいから「あれ、これはなかなか読むに耐える文章だな…」と思えるようになってきた。その間に志望理由書も書き直しているから、合わせると添削10回目を少し超えたぐらいから「サマになってきた」という感じです。

 岩波新書に「外国語上達法」という本があります。東京外国語大学の千野先生が書いた本ですが、外国語をどのように学ぶかをわかりやすく説いた名著です。これを読むと、語学の名人と言われる人でも、地道な努力を重ねてきたと分かる。彼によると外国語上達のポイントは「お金と時間」だそうです。しかも「目的意識がはっきりしている」こと。
 彼がチェコかどこかに留学しているとき、日本語を習いに来た化学技師がいたそうです。日本の化学の水準は世界的に高いらしく、何とか日本語で書かれた論文を読みたいと言う。読むだけだから発音練習はいらないし、化学に使う単語を教えてくれるだけでいい。150km離れたところに住んでいて、2年間週2回列車で通って来て、一回も休まなかったのだそうです。2年後、論文を読めるようになって年収が倍になったから、十分もとがとれたと言って授業を終わりにしたとか。

 当たり前のことのようだけど、この持続が難しい。学ぶ時間のあいだ、どうやって志を持ち続けるか。脱落する原因のほとんどはここに由来します。途中で落ち込んだり、自信を失ったりしがちです。この時に強い目的意識が自分を支える。しかもその目的は単純かつ明快なものの方がよい。
 もう一つ、学ぶお金は自分で稼いだ方がよい、と千野先生は言います。。自分で稼いだお金だと無駄にはできず、その分必死になるからです。単純なようだけど、人間心理を突いている、と思いませんか? 自己責任ということですね。社会人の受験者がおしなべて熱心なのは、そういうこともあるんでしょうね。

【お知らせ】
実務教育出版から「法科大学院適性試験大攻略ブック」が出版されました。私は第二部の読解力・表現力を担当しています。類書にありがちな、わけの分からない説明に陥らないように気を付けました。だいたい、国語の教授法には方法意識が足りないですよね。「読書百遍意自ずから通ず」式の盲目的反復法がまだ幅を利かせている感じです。
この本では、できるだけ明快な解答のための方法を示しました。しかも小手先のマニュアルやテクニックではなく、根本的で本格的なメソッドを提示しました。だから、適性試験のみのごまかしの対策ではなく、文章を読んで理解するための一般的で強力な方法になっていると思います。適性試験がどういうものか知りたい人にはぴったりの一冊です。本屋で見てくださいね。

2004年2月1日

 この間、久しぶりに昔の友達と会いました。昼飯を食べようということで、二人でアルバイトしたことのある中華のお店で待ち合わせしました。成子坂下の「白龍」というお店です。
 今から20年前ですかね。近くに私の先生のやっていた演劇研究所があって、私はそこの演出助手、彼は俳優でした。大変感性が豊かな役者だったのですが、私も若くてよく彼に無理難題をふっかけました。その頃は蜷川幸雄のまねをして、思い通りにならない役者には稽古で怒鳴りまくり、ものを投げまくり。今でも彼と会うと、「吉岡さんに灰皿ぶつけられた」と恨み言を言われる。ごめんなさい。今考えると、青春の粋がりという感じで恥ずかしい。

 演劇青年というと今でも貧乏だけど、その頃は本当にお金がない。見かねて、いつもみんなで食事していた「白龍」のマスターが「うちでバイトしたら?」と誘ってくれた。毎日曜日、夕方6時から午前2時まで皿洗いをしていたわけです。よく流行った店だったので、本当に8時間わき目もふらず働いた。終わると残った材料とスープをもらって家路につく。そのおかげで2-3日は食いつなげる。マスターはやさしい人で、バイトにも色々気を遣ってくれる。お酒を飲ませてくれたり、釣った魚をくれたり、皿洗いにしては破格のバイト代をもらっていたと思います。以来、その皿洗いのバイトはその演劇研究所の代々伝わっていく特権的バイトとなり、その4代目がさっき言った友人なのです。
 マスターは元司法試験を目指していた風流人で、ピアノとオペラが大好きという変わり種。助手は画家の卵でした。気取らないお店なのに、そんなわけで「文化」の香りがして、お客さんも大学の先生とか作家とか芸術家とかいういわゆる知識人たちが集まっていた。ちょっとしたサロンの雰囲気だね。演劇研究所の人たちも、ずいぶんそこで議論に熱中したね。もちろん味もよかった。豚の角煮が名物だけど、新メニューの開発も熱心で、私もずいぶんいろいろな料理を教わったなあ。見てくれではなく実質が大切なんだ、ということをあの店で教わった気がする。
 あまりにも流行ったので、10年ぐらい前だったかな、近くに「白龍館」という別館を作った。それがすごいインテリアなんです。ステンドグラスでドアは木彫りの丸木、壁は漆喰で浮き彫りがしてある。中央にグランドピアノ。しかもベーゼンドルファーですよ。友人と待ち合わせたのは、その店でした。マスターが喜んで、ベートーヴェンの「月光ソナタ」を私たちのために弾いてくれました。やっぱりベーゼンドルファーの音はまろやかでよかった。

 でも、びっくりしたのは元の「白龍」のお店がなくなってしまったことです。去年の秋に閉店したとか。けっして流行っていなかったわけではないのです。厨房の主力になっていた中国人のコックさんたちが、経済発展する中国で「白龍」の方法で店を出したい、ということでみんな帰国してしまったのだとか。息子さんもいたのだけど、後継者にはならなかったので、あえなく閉店。
 青春のシンボルがなくなってしまったみたいで、何か悲しかったですね。「時代は変わる…」というけれど、自分の身に起こるとその感じは格別です。この間、ある友人の書いてきた年賀状は「去年は喪失の年でした」から始まっていました。彼の場合は、生まれた家と卒業した学校がなくなってしまい「心が空白になった」とか、気持ち分かるなー。
 自分の関わった場所はどんどん変化して、その時の面影がなくなり、イメージは自分の心の中にしかない。その感じは何とも言えない。変化していくのは、活力がある証拠なのだろうけど、でも元のままであって欲しい、という気持ちは残って、行き場を失う。
 空っぽの「白龍」のお店の前には、植木が半分枯れかかっていました。私と友人はしばらくそれを見つめていた。高度成長以後の日本人は、こんな置いてきぼりの感覚をいつも味わっているのでしょうか?