2005年2月
2月16日

 昨日の朝日新聞に、大学入試センターで小論文の自動採点のプログラムが開発されているという記事が載っていました。将来、センター試験で書く力を見る問題が導入されることでもあり、採点の自動化が急がれているのでしょうね。

 インターネットで公開されているので
http://coca.rd.dnc.ac.jp/jess/
早速使ってみました。評価は修辞、論理、内容の三つに分かれていて、それぞれ5点、2点、3点で10点満点で評価されるようになっている。手持ちの自分や他の先生の書いた模範答案、生徒の書いた答案など片っ端から入力してみました。

 その結果、分かったこと。修辞のところで出てくる評価が一番細かい。「漢字の使用がやや少ない」とか「語彙の多様性がやや不足している」とか「長くて難しい語がやや少ない」とか結構詳しい。それにくらべて論理・内容は大ざっぱです。私の書いた答案や指導した生徒の答案は、だいたい論理が2.0の満点で出てくる。つまり、模範答案と生徒の答案の論理レベルの差は判別できないのですね。内容も「質問文との関係が希薄」というのが、時々出てくる程度で、残念ながらやや貧弱という印象です。

 やはりまだまだ発展途上みたいですね。でも、私の一番の疑問は、このプログラムには新聞の社説やコラムが模範文としてたくさん入力されていて、それに近いほど評価が高いとされていることです。よく言われることだけど某新聞のコラムなんて、英訳すると意味が分からないものがよくある。そういう文を小論文の模範とするというのは、ちょっと問題あるんじゃないかな、と実は思っています。

 開発者の大学入試センターの先生に聞いてみたら、やはりまだ「論理構造」の評価面が弱いことをおっしゃっており、「これからさらに研究を続けます」ということでした。

 考え出すと教育面のみならず、日本語をめぐる状況に関係した興味深いことなので、これについては、また詳しく書きます。


2月12日

 2月3日,4日と一関一高に小論文の講演に行って来ました。去年、盛岡北高校で呼んでいただいたS先生のお招きです。彼は昔、政治家の秘書をやっていただけあって、仕事に対する情熱と気配りのすごさにはいつも感心します。今回もずいぶんお世話になりました。

 ありがたかったのは、幼なじみとの再会をセッティングしてくれたことです。私は小学生のとき、夏休みになると仙台から一関の近くの祖父母の元で過ごしていました。山を駆け回り、川で水浴びや魚釣りをして大いに楽しみました。まさに至福の時です。S先生はそのときの幼なじみを呼び出してくれたのです。久しぶりにあった彼は、ふっくらとしていた顔が男っぽく削げ、「会えて、うれすいなあ」と繰り返す。祖父母の元を離れてから何十年もたっていて懐かしいのだけど、私も話すことがあまり浮かばない。

 仕方がないので、とりあえず彼の息子のことを話す。息子は高校野球のピッチャーで球を投げさせると東北一速いんだとか…。とたんに顔が生き生きするのだけど、自分のこととなると口が重くなる。聞くと、彼も昔はトラックの運転手をして稼いでいたのだけど、ちょっとした事故を起こして、今はその仕事を止めている。「そこら辺をちょこちょこ運送するだけで…」などと言葉を濁す。彼は私に会えるというので嬉しくて、夕方から酒を飲んでいたらしい。「会えるまでの時間が長くて、困ったよ」と言うのです。

 その気持ちは嬉しいのだけど、ちょっと複雑な感じでした。東京では人々は必死になって仕事やビジネスに精出している。その忙しさがイヤでも、そこから下りるわけには行かない。昔ながらの友達が来ても、時間がなくて失礼するなんてことも多い。だから、地方はゆっくりしてていいなー、などと言う。しかし、これは地方住人にとっては迷惑千万でしょうね。ゆったりと過ごせるのは、実は仕事には希望を見いだしにくいことでもあるからです。だから、息子をさかなにして盛り上がる。私は今は都会にいるけど地方経験もあるので、その矛盾がひしひしと感じられる。

 そういう事情がなかなか都会人には伝わらないようなのです。だから、勝手な「田舎」幻想を持ってしまう。そう言えば、一関の商店街も大部分シャッターが下りていて、小さい頃に感じた賑わいはどこにもない。幼なじみにも、息子のことよりもっと自分の今活動していることを、意気込んで話してくれないかなー、と思う。そう思うだけに、自分が東京でやっている仕事についても何となく上手く話せない。「俺たち一般人は、本は読まないものなー」と言われてしまう。地方と都会では、関心の置き所も違うのです。でも、こういう私は、都会の忙しさに毒されているだけなのでしょうか? ずいぶん、考えてしまいました。

 しかし、このようなことを考えるきっかけを下さったS先生には本当に感謝です。彼は、次の日から国立大学入試のための大量の小論文添削をなさるとか。頑張って下さいね。

 ところで、今日ある受講生から、慶應大学大学院医療マネジメント研究科に合格したというメールを頂きました。とくに研究計画書の評価が高かったとか…。こちらの添削に耐えて、よい文章を書いたのはもちろん自分自身の力ですが、我々もそのお手伝いできたので、うれしいですね。

 医療の問題は、今非常に問題になっていますね。医療事故が相次いで報告される一方で、そういう事故の温床になっている病院・医療制度の問題も次々に指摘されて、てんやわんやの事態になっています。一生懸命勉強してもらって、ぜひそういう事態を少しでも変える人材になって欲しいと願わずにはおれません。


2月1日

 今日の新聞を見ていたら、司法試験予備校のLECが司法試験講座での合格者数をパンフレットで水増しして表示したため、公正取引委員会から排除命令が出た、という記事が掲載されていました。(朝日新聞2月1日朝刊35面)

 実はこの問題は、大学受験予備校ではずっと以前から問題になっていました。東大に合格者数××名などと書いているのですが、代ゼミ・駿台・河合塾三大予備校の数を合計すると、何と東大合格者数の二倍ほどになってしまうという笑い話もあるくらいです。実際に講座を受けた生徒だけでなく予備校の行う模擬試験に参加した人数も全部かき集めるから、こういうバカなことになるのです。

 この間、さる予備校の先生とお話ししたとき、「東大コース」と銘打っている講座のほとんどの生徒が東大に合格できていないという衝撃の事実を聞かされました。「あれは受験生の希望をあおるためのネーミングにすぎないね」と言うのです。こういう実態と広告の格差は年々ひどくなっている。

 LECの数字も、大学受験予備校とまったく同じ手口らしく、模擬試験の人数まで含めたために12098名の司法試験合格者のうち、10991名がLECの講座を取っていた、という途方もない数字になっています。実に合格者の90%以上! さすがにこれはおかしい、ということになったのでしょうね。しかし、こんな明々白々にincredibleな数字を掲載して平気だというのは、担当者の恥の感覚が鈍っているとしか思われない。

 40歳前ぐらいの人、つまり今の会社の第一線で働いている人々の感覚がどうもおかしい、という声を良く聞きます。やたらと自己主張が強くて、自分の利益を守るためなら、すぐばれるような嘘を付いても平気という倫理の退廃が見られるというのです。昔、日本人の性格としてよく言われた「引っ込み思案」「謙譲の美徳」というのはほぼ絶滅してしまったらしい。グローバリゼーションの影響は、確実に日本人の精神を蝕んでいるのかな。

 同じに見られるのはイヤなので、急いで言っておきますが、vocabowの法科大学院の合格者はすべて実際の受講者です。「合格者の声」も実際に頂いたメールを掲載しています。熱心にがんばった人はちゃんと結果を残せているので、私たちは合格率の上げ底などする必要はないのです。こちらの厳しい添削にもめげずに、ねばり強く答案を出し続けた受講者は、必ずと言っていいほど合格しているのですから。

 それにしても、LECはこんなごまかしをしてまで業績を伸ばしたいのでしょうか? そんなことをするより、授業の質を上げて、受講者との信頼関係を築いた方がずっといいと思うのです。その意味で、受講者と緊密な関係を保てているvocabowはつくづく幸福だと実感しています。