2005年6月
6月23日

 この頃、ずっと原稿を書いています。現在は、「法科大学院小論文 発想と展開の技術」です。7月中には出版されますので、楽しみに待っていてください。それから、長らくアマゾンで小論文部門のトップだった「社会人入試の小論文」も増刷されます。品薄で困っていた方、もうすぐ手に入りますので、もう少しお待ち下さい。

 こんな執筆の間の息抜きは、公園の散歩です。春には初々しかった葉っぱも、もうずいぶん緑が深くなっています。芝生にしばし寝ころびながら、空を見ていると、あれ・・・ずいぶんたくさんヘリコプターが飛んでいます。

 1機、2機、3機・・・数えると全部で5,6機飛んでいる。はじめは近くに自衛隊の朝霞駐屯地があるので、航空自衛隊の訓練かと思っていました。ところが、どうも様子がおかしい。同じところをグルグル回っているだけで、ちっとも飛んでいかないのです。
 「事故があったんだよ」と公園を歩いていたおじさんが急に話しかけてきます。「だから、新聞社のヘリが飛んでいるんだろ」。でも、こんなに飛んでいるところを見ると、よっぽど大きな事故だったんだろう。玉突き事故で5台が巻き込まれ、死傷者何人とか・・・
 ためしにヘリに向かって手を振ってみました。本当に、手を振ったら降りてきそうなほど近いのです。もちろん、降りては来ないけど。家に帰って、TVを見たら、近くの街で爆発事故だと言っていました。ビルの管理人の夫婦が二人亡くなって、15歳の長男が行方不明だとか。また少年が関わった事件のようです。

 だんだん報道がされてくると、けっこう心痛む事件のようです。「父親に馬鹿にされた。母親は仕事が辛くて死にたいと言っていたので殺した」と言っているらしい。一見ナンセンスのようだけど、このコメントには切迫した感じが出ていて、妙な気分です。今の日本の鬱屈した気分がそのまま出ているような気がする。
 まだはっきりしたことはわからないけど、この事件には「貧しさ」が関係しているように思います。それも「食べ物がない」というような絶対的な貧しさではなく、他人と比べた自分の貧しさというのか・・・こういう事件がこれからどんどん起きてくるんだろうな、という気がします。

 それから、二、三日たったけど、私の住んでいるところでは毎夜毎夜パトカーのサイレンが響きます。「いったい、どこで何かあったのだろう?」と気になる。きっと大したことではないのだろうけど、変なストレスを感じてしまう。アメリカ人が9.11を思い出すときってこんな気分なのだろうか?

 そういえば、もうすぐ法科大学院の適性試験ですね。受験生たちは、今頃緊張のまっただ中でしょう。その気持ちを感じながら、私も、原稿の締切を二つ抱えて、締切に間に合うかとちょっと心配になっています。そういう気持ちのシンクロが、こういう事件をいろいろ考えてしまうきっかけになっているのかもしれません。

 でも、そうしていると、「きっとダイジョーブ、きみはダイジョーブ」と流行歌のフレーズが浮かんできます。ああ、こういう気持ちにあの歌詞は触れてくるんだな、と気がつきました。いかにも元気そうな内容だけど、実態はそうでもない。でも、「こういう時にこそちゃんとしなきゃな」なんて思うときに、この歌があるわけです。けっこう、複雑な態度と立ち位置が要求される時代なんですね。

・・・あれ、またサイレンが聞こえます。今日は何があったのかな?

 受験を間近にひかえた方たちは、体調をくずさず最後の追い込みを乗りきってください。コツコツ努力した者がやはり最後は強いのです。本当ですよ。

6月15日

 今月はまたまた忙しく過ごしています。講演はこの間、川越女子高校に行って来ました。川越ははじめて降りたのですが、可愛らしい町ですね。そこでは、高校の先生方を前に小論文の基本をお話ししてきました。小論文がいわゆる国語のコンセプトとは違うことからはじめて、その基本構造、根拠の種類、段落の作り方、要約の仕方、最後は慶応大学の設問文の読みとり方まで、100分程度しゃべりまくって来ました。皆さん、とても熱心でした。これから、まだまだ高校行脚は続きます。屋代高校、それから福島県田村高校のみなさん、もうすぐ参ります!

 さて慶応大学といえば、この間予備校で文学部の過去問を解かせていてビックリしました。「1980年代から現在までの日本における西洋文化の受容について500字以内で書け」という問題です。ミニ歴史記述をさせるという問題ですね。なかなか面白い問題だと思います。
 もちろん「西洋文化」と言っても、何でも良い。音楽やアートはもちろん「文化」だけど、料理だってファッションだって、車のデザインだっていい。何ならハンバーガーの歴史だってかまわないよ、と私は言いました。
生徒たちはいろいろな題材で書いていたのだけど、代表的なのはこんな感じです。

 1980年代以降の日本における欧米ファッションへの対応は模倣から始まった。明治以降の日本の欧米化の中でも、ファッションの欧米化はすざまじく、80年代にはほぼすべての日本人が洋服を着ていた。日本人の欧米ファッションへのあこがれは強く、古くは織田信長のような歴史上の人物も、すすんでそれを取り入れようとしてきた。
 しかし、現在はただの模倣ではなく、日本独自のスタイルとして確立している。たとえば洋服に和服の要素を取り入れたようなようなものも目にするようになった。若者のストリート・ファッションは世界をリードしている。


 すごいなー、と思わずうなってしまいました。第一段落は、時代がメチャクチャですね。1980年代と明治と16世紀が一緒くたに例として扱われている。この文章の書き手の中では自分が生きていなかった「過去」だから一緒なのでしょうね。80年代を体験している私にとっては、「ちょっと待ってよ」と言いたくなる。「模倣」というけど、日本人デザイナーが世界で活躍した時代だと思うけどなー。
 第二段落はうって変わって「現在の肯定」です。「世界をリード」している自分たちの世代・時代ということでしょうか? ただその具体的イメージが貧困です。「洋服に和服の要素を取り入れた」ってどういうことでしょうね? ジーンズに和風模様を入れたり、和服の生地で洋服を仕立てたりすることでしょうか? こんな安易な工夫を「世界をリードする」独創としていいのだろうか?
 こういう記述は「過去」を不用意に語るときの危険性を如実に表していると思います。現在を中心に捉えると、過去はその影(Shadow)として現在の反対要素をすべて持ってしまう。捉え方が概念的になる、というか…、善悪の判断が恣意的になるというか…。
 そう言えば、このごろ海外で「日本人の歴史認識」が云々されていますが、そこにも過去を単純化している面があるのではないかと感じますね。そう簡単に「歴史認識のすりあわせ」など出来るわけがない。それを対外関係をよくしようと、あるいはそれに反発して、大騒ぎしている。小林秀雄は歴史を勝手に意味づけすることの危険性を言っています。「歴史」に我々の願望を反映させることには、慎重であらねばならないですね。

 小論文を書くと言うことは、こういう一面的な認識から解放されることを意味しています。言葉の定義を検討し、根拠やデータを考慮して、妥当な結論を出そうと努力する。何となくのムードに流され、ステレオタイプの意見を持つ、という段階からワン・ステップ上がるには、そういう訓練が絶対に必要ですね。妙な歴史記述をしてしまった生徒たちも、毎回まじめに提出していると、冷静な文章が書けるようにすぐなります。がんばってくださいね!


6月2日

 この間、お昼ご飯を食べにN駅近くのお蕎麦屋さんに行きました。見た目は街の小さなお店なのですけど、そこで天丼を頼んでびっくり! 久しぶりにおいしい天丼を食べたという満足感を味わうことができたのです。衣の揚げ方もサックリして軽めだし、タレがおいしかった。

 これが記憶に残ったのは、浅草にある有名な天丼の店があまりにも不味かったからです。胡麻油であげているので多少味が重たくなるのは仕方ないのですが、衣がもっさりしていてタレも甘すぎる。ご飯もまずい。接客ばかりもったいぶって値段が高い。老舗だからというので、期待していたのですが、がっかりしましたね。浅草という場所と店のブランドだけで商売しているのが一目瞭然でした。

 一般的に言うと、食べ物屋は店が立派になるとモノが不味くなる。儲かって立て替えたり、息子たちに代替わりしたりすると、必ず味がおかしくなる。どんなに一生懸命やっても、何か違ってくるのです。私は学生の時に飲食店でアルバイトしていたから、その難しさは店主からさんざん聞かされました。

 彼も流行っていたお店をお母さんから継いだ後、お客さんを減らしてすごく苦労したそうです。同じレシピでやっているはずなのに、なぜ味が違うのか、その微妙な違いに気づくまでに何年もかかったとか…モノを作る、というのはそういう厳しさがあります。だから、ブランドでやっているところを見ると、すごく腹が立つ。先代からもらったブランドで商売するなら、ちゃんとまともなところで努力せんかい!って思うわけです。

 そういえば、この間新聞に出ていたけど、パリの三つ星レストランのシェフが三つ星を返上して、一つ星になるという決断をしたそうです。三つ星になるには、料理以外に接客やインテリアなど気を遣うべきポイントが増えて、肝心の料理に気が使えなくなるのだそうです。彼は、料理以外のことに気を遣うのにほとほと疲れて、もっと安い値段でおいしい料理を食べてもらいたいと星を返上した、というわけ。職人の気質を考えると、とてもよく分かる話だと思いました。

 世間の評価にはどうしてもタイムラグがあるから、実質とブランドに差があっても、しばらく客はついてくる。でも、そのうちにだんだん見放されるのです。客の方も感じたことはちゃんと言わないと、妙な店が生き残ることになる。何でもそうだけど、受け取る側の文化度って大切ですよね。

 これは食べ物に限らない。文章でも知識でもそうだと思います。自分に力が付いてくると、より微妙なことが分かるようになる。その向上の感じは何とも言えない満足感をもたらします。そういう良さがすっと分かるような人間が増えないと世の中はよくならないと思います。