2006年3月
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エントリーシートの辛さ

 日曜日に個人面接をしました。いつもはMBAやロースクールなどに提出する書類が多いのだけど、今度は就職に必要な書類です。書いているうちに自信がなくなって、どうしても見て貰いたかったのだとか。気持ち分かります。まだWEBでは正式のコースにしていないのだけど、最近こういう依頼が多くなっているので「就職のためのエントリーシート・志望理由書コース」を造ろうかな、と思案しています。

ビジネス言語と個人の分裂

 何で、そう思ったかというと、ビジネス世界に入ろうとする人々の言語が、絶望的に分裂していると思うからです。ビジネス書では「やる気」「創造力」などの耳障りの良い言葉のオン・パレード。そのイメージに向かって、志望者は「良いビジネスマン」あるいはその候補生を過度に演じなければならないと思いこむ。それが文章に現れると「絶対にNO!と言わないで頑張る」なんて、非現実的な決意表明が溢れかえることになる。結果、リアリティのかけらもない文章が出来上がる。

 こういうプレッシャーを受けると、真面目な人間ほど、そんなふうに簡単になれそうもないと自覚したり、求められているように出来ないという罪悪感で苦しんだりする。それでも、書き続けなきゃ書類が出来上がらない。一行書くごとに自己イメージとの乖離が大きくなり、ついには自分の文章という感じがしなくなる。途中で書けなくなって自暴自棄になる。

 逆に「就職できさえすれば良いんだから、いい加減なことを書いてやれ」と開き直る人もいる。そうするとどうなるか? 自分の目に付いた範囲の最大限に「効果的」と思われる言葉を散りばめて文章を作る。しかし、こういう格好だけの文章の空虚さはすぐ見抜かれる。そりゃそうですよね。どこかで見たような最大級の表現がズラズラと並ぶのだから、誰にでも書ける。個性のかけらも感じられない。世の中をなめるとたいてい失敗する。

 ちょっと考えてみればすぐ分かるけど、22才やそこらで「良いビジネスマン」としての自覚を持っているなどということはありえないことです。たいていの若者は怠惰で、しかも自尊心だけは強い。私が22才当時のことを考えても、仕事に対する自覚なんてほとんどなかったですね。アルバイトには遅刻し放題だったし、原稿の締切は守らない。そのくせ、一丁前の口だけは利く。経営者から見れば、さぞかし「使いにくい奴」だったと思います。その頃、我慢して私を使ってくれた方々、本当に感謝いたします。私が経営者だったら、22才の頃の私など面接で即不合格にしたよね(今でもそう思っている人もいるかも…)。大人から見ると若者は100%バカに見える。でも、その思いこみもバカなのです。

若者は人を見下すか?

 『他人を見下す若者たち』なんて本があるらしいけど、そんなこと当たり前で、今更言うまでもありません。青年の典型的状況を考えればすぐ了解できる。「自分」というのは生まれつきなのだから、否定は出来ない。肯定するしかないのだが、その材料に乏しい。容姿・学歴・経験・仕事など、人に誇れるようなものを持っている人間は少ない。逆に言えば、そういうものがあれば「就職」する必要はない。そんなことしなくても、向こうから仕事はやってくる。

 それがないから、「私を雇ったら良いですよ」と売り込まなくてはならない訳だ。仕方がないから、性格・笑顔・やる気…なんて証明しようもないことを売り物にするしかない。「やる気」だって、実際に仕事をやったわけではないから、現実で示せない。「やる気があります!」と大音声で主張する。でも、そんなこと誰でも出来る。大衆の中に埋もれてしまうわけです。(ある有名な役者は、オーディションで大声を出しすぎて失神し、それが見込まれて合格したとか。目立つのも楽じゃないですね)

 何とか他人と違って目立ちたいのだけど、それが出来ない。これが普通の青年のあり方です。だから、この問題の解決の仕方もほとんどパターンは決まっている。ちっぽけなサークルの中で背比べをするか、あるいは幻想の中で自尊心を持つ。前者などせせら笑われるだけだし、後者なら不審の目で見られるだけ。そう言えば、作家の三島由紀夫は「私は17才で世界を分かっていた」と書いていたけど、ほとんどの17才はそう思うだろう。もちろん人によって「…を分かって」のところが「…に勝って」だったり、「…をびびらせて」だったりするのだけど。幻想の中で優越感に浸る以外、若者がどうプライドを恒常的に持てるのか? 教えてほしいですね。

 それが現実に触れるとガラガラと崩れていく。やれると思ったことが出来ない。当然「能力がない」とか「性格が悪い」とか、好き放題周りから言われる。でもプライドがないと生きていけない。だから「世界を理解していた」という確信が持てるルートを探してジタバタ。それをまた壊される。へこむ。何くそ。でも…以下省略。こういうことの繰り返し。あまり、こういうことばかりだと疲れるので、恋愛に逃げたり、幻想に浸ったりする。大人だって、そのぐらいの惨めな経験があるはずです。あまりエラソーなことは言えない。

人生の下部構造を変える

 こういう不安定な状態にいる青年たちに対して、「他人を見下す若者たち」と決めつけるのは、あまりに同情がなさ過ぎると思うね。他にやりようがないからやっているだけで、批判したって変わる訳じゃない。いわば、青年の人生の下部構造がそれをさせているに過ぎないからです。こういう態度を変えるには、態度という上部構造を批判するのではなく、下部構造自体を変えればよい。

 たとえば、幻想に浸る暇もないほど、目一杯仕事を与えてみたらどうだろう。いろいろ困難に直面したり失敗したとき(初めてなのだから当然)、それをサポートしてあげれば見下すよりもきっと感謝すると思う。そのうちに自分の出来ることと出来ないことの境目が分かってくる。そういうふうに導いてやるのが大人の度量というものじゃないか。でも、大人だってそこまで行っている人は何人もいない。せいぜい若者たちの悪口を言って憂さを晴らす。「目くそ鼻くそを笑う」とはこういう事態を言うのだ。

修行としてのエントリーシート

 不安定な立場の若者が、エントリーシートを書かなくてはならない苦痛は、想像するにあまりある。世のイメージに合わせて服従するか、バカにされても良いから個性を主張するか、二つに一つ。究極の選択です。どっちもあまりよくない選択のようで、選べって言われても困るよねー。でも、これが「社会化」というプロセスの一部なのです。他人からのレッテル貼りに耐える。その中で譲れないものにこだわってもがく。こういう過程で、余計なものが削ぎ落とされて、「自分」という姿が見えてくる。他者からの呼びかけに応えるという方法でしか、人間は「自分」にはなれない。

 まあ、その一歩がエントリーシートの記入と考えれば、社会と自分との関係を捉える修行、あるいは「自己発見」の一環としての意味は十分あるのです。社会の要求を認識しつつも、その言うがままにはならないという強靱さをどこで発見して、どうやって身につけるのか? どこで言語的に認識するか? コースを造るなら、そういうところを大切にしたいというのが、基本コンセプトかな? 皆さん、受講してみたいですか?


「譲歩の構文」の本質

 文章の書き方の一つとして「譲歩の構文」というものがある。「譲歩の構文」とは、「たしかに(もちろん)…しかし(だが)〜」などの表現だ。前の「たしかに(もちろん)…」のところで相手の言い分に配慮と理解を示すが、後の「しかし〜」以下のところで相手を否定ないし自分の主張をする。当然のことながら、「しかし〜」のところにメッセージの本質がある。

 たとえば「たしかに君の言いたいことは分かる。しかし、今回は私の顔を立ててくれ」などと言う時は、「つべこべ言うな。俺の言うとおりにしろ」と基本的に同じメッセージだ。ただ、それでは人間関係に角が立つので、一応相手を肯定しておく。普通なら、人間関係の儀礼の部分はさっさと済ませて、主張のところを丁寧に書く。だから、「たしかに(もちろん)…」の前半を長々と書くのは、文章としてのバランスを失している。もし、わざわざそう書くのなら、メッセージをなるべく目立たせたくないのか、意図的にごまかしているのか、あるいは文章が下手か、のいずれかである。

村上の文章の奇妙さ

 文芸春秋に村上春樹の文章が掲載されていた。奇妙な文章だった。上に書いた「譲歩の構文」の拡大版なのだ。前半で編集者安原との交友に長々と触れ、「正直な人だと思った」と書きながら、最後のところで「さて」と調子が変わり、安原が「生原稿流出」をしたことを「盗みに等しい」と非難する。いろいろなところで話題になっているのだが、だいたい村上支持派が多い。ある批評家も生原稿流出は「作家に対する究極の冒涜」であるなどと評している。

 でも、本当にそうなのか? 私はどうも論点に混乱と誤魔化しがあるような気がしてならない。まず、作家の生原稿の所有権はどこにあるのか、という問題は、村上が主張するほど明確ではないと思う。彼は「作家にあると信じている」と言うが、そもそも、彼は作家として活動すべく編集者に原稿を渡したはずで、「発表しないで保管してくれ」と頼んだのではない。だとしたら、公共メディアに発表されることに意味があったわけで、生原稿そのものに意味を認めていたわけではない。村上は「発表したくないものもあった」と言うが、それなら編集者に預けるという行為が意味をなさない。編集者に原稿を預ける、とは、「どこかで発表してくれ」ということなのだ。

 しかも、生原稿の価値は事後的に出てくる。生原稿が現在高い価値で取り引きされているのは、村上がベストセラー作家で他人の注目を引く存在だからだ。無名だったら、そんな価値は出てこず、紙くず同然、あるいは文字が書いてあるだけ紙くず以下となる。そういう価値が定まらない作品をメディアに載せることで価値を創り上げるのが、編集者の仕事だ。作家が私蔵していたら作品は誰にも知られず、価値もない。その意味で、彼が編集者に「育てられた」のは間違いないだろうし、「私は自分自身を育てた」などという言い方は、有名作家となった今だからこそ言える。

小説の価値はどこにあるか?

 いずれにしても、小説の価値は「情報」にあり、モノそのものにはない。印刷メディアを駆使する作家活動とはそういうものだ。それでも「情報」に価値が出たときに、最初のモノにも価値があると見なす人々がいるのだが、その価値はさかのぼって最初の作家に属するのだろうか? 小説家は「情報」として流通させることを目的として他者に渡したはずなのに、いつからモノに執着するようになったのだろう? 価値を認めた人が勝手にやることであって、作者が口を挟むべきことではない。

 その意味で、情報メディアを利用して自分の地位を築いた作家が、生原稿の価値などを言うのは自己矛盾だと思う。情報として流通すればいいのだから、生原稿自体は贈与したって構わないはずだ。生前預けっぱなしにしていたのだから、今さら「私のものだ」と言うのは何だか変である。それに、村上はフィッジェラルドを例に挙げて、有名作家の生原稿は大学の図書館に所蔵されるべきだと言うが、図書館がそれほど価値を認めるならば、自前で予算を組んで買えばよい。価値を認めた誰かがすればよいので、作家自らが「自分の原稿は大学の図書館で所蔵されるべきだ」と公的なメディアを使って主張するのは、上品だとは言い難い。

 この「上品だとは言い難い」感覚は、彼が死者の体面を汚すことをいとわないことにも現れている。死者は抗弁できない。生きている人間が死者を批判しても、死者は何も出来ない。だとしたら、死者に対する言説に手加減があってしかるべきだ。「死者にむち打つ」ことを忌むのはそのせいだ。しかも、死んだ人間は責任をとれないのだから、批判の矛先は結局生きている遺族に向けられる。村上のファンは遺族を非難するだろう。彼が意図していなくても、社会的にはそういう結果を生む。私なら、そういうことを考えて、こういう発言は慎む。

優位の顕示

 その意味で、村上は他者に対する圧倒的権力を享受している。死者に対する圧倒的優位を利用するだけでなく、文章にもその態度は現れている。なぜなら、「譲歩の構文」は、相手より優位に立っているとき、あるいは優位に立ってそれを誇示している場合によく使うからだ。たとえば学校の教師が生徒に向かって諭すときに、この言い方はよく使われる。村上はこの言い方を使うことで、安原に対して「諭」し、圧倒的に優位な立場にあることを示すのである。死者に諭す生者、ちょっとグロテスクに過ぎないだろうか?

 「原稿を盗まれた」というのなら、純然たる法律の問題であるから訴えればいい。訴えられた方も言いたいことがあるだろうから、当然反論するだろう。この場合、安原は亡くなっているのだから、家族がその任に当たるだろう。対等の立場で争う。これがフェアな態度である。せめて、そういう態度を示すことが、他者に対する礼儀ではないだろうか? カール・ポパーは科学的理論の絶対条件として「反証可能性」を挙げている。どんなときにその理論が間違いであると分かるか。それを相手に指摘させる余地を残しておくのがフェアな議論だというのだ。つまり、絶対の真理はそもそも真理でさえない。反論されないような真理の主張は誤りである。

 その論法を借りるなら、小説家として押しも押されぬ存在である村上が反証を許さない形で他人を告発しているわけである。村上は安原との親密な関係をいかにも人情深そうに述べながら、ドロボーというメッセージを忍び込ませ、かつ自分が安原よりも上の立場であることを顕示しようとする。特に、小説家として安原の「才能」をけなすあたりに品のなさと狭量さを感じてしまう。「慇懃無礼」という言葉は、むしろ、このような文章に対して言われるべきだと思う。

 これに限らないが、強者が弱者の立場を慮るのではなく、平気で痛めつけるという態度が目についてならない。しかもそういう態度をする権力者をいさめるのではなく、その尻馬に乗って弱者をいじめる人間が増えている。「弱肉強食」とは言うけれど、こういう人間ばかりになったら、やたらと生きにくい世の中になる。たとえ、安原のやったことが誉められることではないにしても、「葬式の餞別としてくれてやれ」という度量が村上にないのは、あまりにも情けない。「仁」と「礼」が足りないなー、と思うのは私たちだけだろうか?

 これはボカボの長谷と吉岡の一致した感想です。

学校の理想―詰め込み教育は悪くない

 土・日と「適性試験」セミナーが始まりました。初日は、全体オリエンテーションなどもあったので、4時間分全部を吉岡が文章の構成と根拠の構造について講義。日曜日はその代わりに論理ブックのほとんど前半部分を阿藤が講義。どちらも演習付き。ドンドン飛ばしたのでで非常に濃い内容になり、受講生の皆様は大変だったと思います。だけど、勉強はやっぱりこうじゃなくちゃね。「やさしく」「分かりやすく」ばかりではダメなのです。

 よく「詰め込み教育」はいけないというけど、ある時期ではどうしても「詰め込み」が必要です。次から次へと新しい知識を提示し、それを自分で使ってみる。時間は限られているから、どうしたって理解が十分でないところが出てくる。それをキャッチ・アップするには、もちろん教師側も全面的にバック・アップするけど、学生側の努力が絶対に必要です。

 実際、欧米の大学に行ったことのある人は口をそろえて「大学(大学院)は詰め込み教育だ」と言う。私の知り合いなんか、「アメリカの大学院は日本の予備校みたい」と言っていました。とにかく矢継ぎ早にいろいろな知識・データを示す。毎週の宿題も一週間で300ページ読めなんてほとんど実行不可能。学生にとっては全然「やさしく」ない。勉強したいと思ってきているのだから、能力の極限まで勉強させてあげるのがむしろ親切だ、というのがポリシーらしい。

 こういう知識の詰め込みを繰り返していると、あるところから「量が質に転化する」。ある本に書いてあることと他の本に書いてあることとの関係はどうなっているのか、あるいはここはどう考えてもおかしいのだが、別な解決法はないのか、などと、食事したり歩いたりしているときにボンヤリ考えていることに気が付く。日常座臥がすべて「学問」や「思考」になるわけですね。

 大学のキャンパスの中を歩いていても、そういう思考が常につきまとうから、いつの間にか頭脳空間の中を歩いているみたいになる。周りの環境から「超越」するわけ。修道院や寺の中に、世俗から離れた宗教世界ができるみたいなものです。その意味では、学者は学問という神に仕える先輩僧で、学生はその師に仕える見習い僧。もちろん師もまた彼の師を持っている。その師もまた自分の師を持っている。さらにその師も…と綿々と続いていく。そのはしに連なることで自分の場所もアイデンティティも出来る。

 その意味で、レヴィナスじゃないけれど「師の教えは絶対」ということになる。知識とオリジナリティは矛盾するように考えられているけど、知識が増えるに従って自分が参入できる箇所も増えていく。つまり、オリジナリティは知識に支えられているのですね。

 学問や知識にまつわる人間関係は、ある瞬間に、個人が利益を得るという関係を超越して、調和と幸福感をもたらすとは思います。神保町の空間は、小さいけれど、こういう精神的な環境が少しでも成り立つように、これからも努力していきたいですね。

 「文章の書き方」を勉強したい人をサポートする機関として、ボカボのWeb とReal School(神保町での対面授業)を充実させていくつもりです。現在、Real Schoolでは、講座の年間スケジュールを作成していますので、ご期待ください。