2007年12月
12/31

三文オペラとピアノ

やっと12/31までたどり着きました。12/20に帰国してから、冬のセミナー、個別コーチングと息もつかせぬ仕事の展開。この時期は毎年忙しいとは言いながら、今年の忙しさはまた格別でした。おかげで「冬のセミナー」は盛況。この講座を受けて良かったという声が続出で、スタッフ一同充実感に浸りました。

いつもの年末と違うのは、あわただしい日程の中、友人のソプラノ歌手肥後幹子さんのリサイタルの舞台監督を受けたこと。数年ごとの彼女のリサイタルではいつも演出か舞台監督をやっていたのですが、この時期は初めて。忙しいこの時期に引き受けたのは、高橋悠治氏がピアノだから、というのもありました。

高橋悠治と言えば、私にとってはグレン・グールドと同じくらいのヒーロー。武満徹やジョン・ケージなどの現代音楽を弾いて、そこにユーモアと美しさを醸しだす、などという色気のあるピアニストはほとんどいない。「ユージさん」はその希有な一人です。

やや長めの髪をはらりとさせながら、涼しげなイケメンでケージの「ピアノのためのソナタとインターリュード」を引く姿は、ほとんど「前衛音楽の王子様」という感じでした。二十代の頃に彼のレコードを何回聴いたことか。その彼が目の前で演奏するのをじっくりと聴ける仕事をオファーされたのですから、引き受けないわけがない。もう「あー、もちろんいーですよ」と二つ返事。

久しぶりに会う「ユージさん」は髪も短めに刈り上げ、多少白髪になったこともあって、前衛の「王子様」というよりは小柄な「リア王」というような風情だったけど、それでもあの頃の若々しさと過激さはまったく変わっていない。

もちろん、肥後さんも「ユージさん」の大ファンだから、伴奏をお願いしたのです。「ユージさん」がああ言った、「ユージさん」がこう言った、といちいち稽古の細部を私にも説明する。そういう無邪気な心酔ぶりを見ていると、なんとなくこちらも嬉しくなります。「心酔」なんて、現代ではほとんど見ることができない、まれな状態ですからね。

曲目はブレヒトの歌詞にクルト・ワイルとアイスラーが曲を付けたもの。クルト・ワイルは『三文オペラ』で有名ですね。20世紀前半の思いっきりワサビのきいた表現派風小唄とでも言ったらいいのか。テーマは下層市民の生活感が濃厚で、今の格差社会にもぴったり。「ヒモのテーマ」とか「愛の市場」なんて、題名だけでもどんな内容か想像が付くでしょう?

自分の役目をこなすと、私は高橋悠治のピアノに聞き入ります。左手のリズムが人物の性格をくっきり表したり、声の合間にピアノがさらりとメロディーを歌ったり、歌との絡み方が抜群に面白い。

伴奏ということで、裏に隠れてちんまりと弾いたりしないのが良いところです。「主体的な伴奏」というのか、歌を引っ張ったり、あえて刺激を与えたり、協力・競争しながらイノベーションするというのか。普通の仕事でも、こういうのってなかなか難しいのですよ。

そういうことを軽々とやってのける。肥後さんが「ユージさんの音って、私には夢なんです」と言っていたが、本当にそう。舞台の袖から、彼の手先を見ながら音を聞いていると、何をしたいのかがよくわかる。

仕事しながら、芸術が生まれ出てくる現場に浸る至福のひととき。そういえば、ボカボの仕事のやり方って、いつもそういう美の部分があります。そういう面があるから、この仕事も引き受けたわけ。金のためにとにかくガリガリやる、という世知辛いビジネスとは一線を画したい。来年も、その姿勢は変わりません。

1月後半からは、「法科大学院 適性試験 Advanced」も始まります。受講生の美意識を刺激しつつ、点数獲得に向ける、そういう両立を求めて頑張ろうと思っています。

12/26

ヒマラヤにはダリアがよく似合う

カトマンドゥにしばらく滞在後、ポカラに来ました。あの、喧噪のインドからネパールに来ると、ずいぶん気分が楽になります。人間もインドほどきつく迫って来ず、カレー料理もマイルドになる。湖の町ポカラに来ると、カトマンドゥよりもっとゆっくりする。

目の前に広がるフェワ湖に夕焼けのヒマラヤが逆さに映る。「逆さヒマラヤ」とでもいうのか。それを見ながらお茶を飲むと、インドで緊張していた体がしだいにほぐれていきます。ガンガーの向こう岸を見ながらチャイを飲むのとは、まったく違った感覚。富士を見てお茶するような感じでしょうか。

もちろん、日本人だって富士には肯定的な感じを抱いているとは限らない。たとえば、太宰治の有名な言葉「富士には月見草がよく似合う」。彼は「富士」をたたえて、この言葉を発明したのではない。むしろ、その世俗的なイメージが嫌いで、バスに乗ってもかたくなに富士と反対側の方に目をやり、月見草を見つけたらしい。月見草は彼の屈託した内面の象徴なのです。

しかし、ヒマラヤはそんな屈託は何だか似合わない。町のどこからでも見えてあきれるほど堂々とそびえたっているので、ひとり顔を背けるのもばかばかしい感じです。しようがないから、「きれいだなー」なんて間抜けな歓声をあげる他ない。

実際、ヒマラヤに似合う花は月見草なんていじけた花ではない。むしろ真っ赤なポインセチアです。日本ではクリスマスの花で小さな鉢にちんまりと納まっているが、こちらでは大木になる。全高3m。ほとんど巨木と言っていい。赤いポインセチアと白いヒマラヤ。どうです、雄大なものでしょう。

もう一つはダリアかな? 泊まっていたFish Tail Hotelには、色とりどりのダリアが鮮やかに咲いています。ダリアって見たことありますか? 私は昭和30年代の花という印象が強い。高度成長のまっただ中、家庭では競ってダリアが植えられていた。何で、あんなに流行ったのかわからない。球根はサツマイモにそっくり。「間違えて食べないように」と園芸書にいちいち書いてあるくらいだから、どこの家庭にも一、二本は転がっていたのだろう。

それが、1980年代からめっきり少なくなった。そもそも庭が少なくなって「家庭園芸」が顧みられなくなったせいもあると思う。しかし、もっと大きいのは、花の流行が変わったこと。こういう花はいくつかある。たとえば百日草。あのカサカサした極彩色の花はもうよほど田舎に行かなければ見られない。あるいはカンナ、鶏頭。どれも、ちょっとキツめの色とやや大ざっぱな姿をしている。こういう花はかつての庭を彩っていたのに、この頃はあまり見かけない。

それが、ポカラではダリアが堂々と咲き誇る。色も赤、オレンジ、赤白のコンビなど様々。いくぶん押しつけがましい原色だけど、それがアンナプルナやマチャプチャレの白い雪にはよく似合う。月見草のいじけぶりとは違って「現状を直視せよ、希望を持て」と昭和30年代風のメッセージを送っている感じがする。もしかしたら、ネパールは高度成長のまっただ中なのかもしれません。

それに対して、こういうあからさまな希望の姿にちょっと疲れ気味なのが、ポストモダンの日本かな。癒しを求めて旅をする眼には、ダリアは元気すぎてtoo muchなのです。やっぱり「ヒマラヤにも月見草が…」などといじけてみるのが、私には合っているのかもしれません。

日本に帰ってきたら、早速仕事です。「冬のセミナー」が始まりました。受講生の期待に応えるためには、いじけている暇はない。ダリアの希望とたくましさをもう一度見直した方がよいのでしょうね?


12/19

ガンガーのほとりで

インドに来ています。ニューデリーからアーグラー、さらにバーナラシーと回って、次はネパールのカトマンドゥ。インド・ネパールの旅としてはちょっと急ぎすぎですが、今回は仕方がない。年末の「冬のセミナー」の前には日本に戻っていなくちゃならないからね。

インドに来ると、人生はlotteryくじ引きであるという言葉を思い出します。ガンジスのほとりで、道ばたでたたずむ乞食のようなサドゥー(行者)やリクシャー(人力車)の運転手たちは、おそらく一生このまま。一日一日が過ぎて、ある日気がついたら人生は終わる。私がこの町に生まれたら何を考えて生きていただろう? もちろん、論文がどうの、論理とは何か、などとは考えていなかったに違いない。

インドでは、いろいろなものごとのコネクションの効率が非常に悪い。何かと何かが出会うところ、必ず摩擦が起こる。だから、個人の努力は必ずしも実らないし、予定もしょっちゅう変更せざるを得ない。一人一人はエネルギッシュに動くから、全体がさらに混沌化する。「さくさくと進む」などという表現は、インドにはあり得ない。

たとえば、今回はエア・インディアを使用したのですが、出発三日前にJALに変更。デリーに着いたら、今度は列車が二時間半も遅れた。ネパールまでのチケット代も聞く人ごとに違う。リクシャーに乗るにもいちいち喧嘩腰で値段交渉。インターネット・カフェはあるけど、サーバーがしばしばダウン。それどころか停電で真っ暗になる。電気のジェネレーターが大音量で回り出す。道路は牛で混雑し、車はクラクションを鳴らす。

椎名誠に『インドでわしも考えた』というエッセイがあります。これは絶妙の題名です。インドでは日本人は考えこまざるを得ない。接続がうまくいかず、膨大な時間の無駄が生ずる。その合間合間で「なぜ、私はこんなことをしているのか? どうしてここにいるのか? 真の目的は何か?」など、自分を反省する時間が否応なしに出てくるからです。

日本では接続が滑らかです。列車も遅れないし、価格は定価で安定している。インターネットの接続も問題ないし、めったに停電にもならない。だから、人々は安心して、自分の仕事に集中できる。すでに存在するシステムの上に立って個人が工夫し、それがシステム全体をまた進化させるという循環になる。

しかし、これが習い性になると、ベーシックなレベルに戻って考えるという力を失ってしまう。ペンギンが泳ぐ力を獲得して、その代わりに飛ぶ力を失ったように、恵まれた環境の中では、生きることが必然的に専門化・断片化するし、そうした方が生きるのに都合がよいから、ますますその方向に進む。細部に集中する中で、大きな方向を見失う。

日本人にとってインドは効率的でないから、かえって哲学する時間が持てる。とくにバーラナシーでは川のほとりで毎日火葬が行われる。「生きるとは何か? 死ぬとは何か?」。ひたすら内省に追い込まれる。道ばたに座り込むサドゥーを見ながら、自分も一瞬インドで修行しているような気分になる。その中で、日本という毒から解放され、バランスをとり戻す。

ただ、10年前はその雰囲気にひたすら浸っていれば良かったのですが、現在ではそこにグローバル化が入り込む。私も毎日日本と連絡を取るし、そういう目で見ると、インド人たちも前より苛々と忙しそう。哲学と経済の間で、行ったり来たりしているというか。その間で怒鳴り声と悲鳴が行き来する。そのトーンが昔よりもほんのちょっとだけ高い感じ。

なぜ私はここにまた舞い戻ったのか、ここから私はどこに行くのか…そんなことを思いながら、毎日メールをチェックする。こんなグローバル化のプレッシャーは、どこかでガンガーの人々にも影響し、4000年前からあるこの町を変化させつつあるのかも知れません。


12/5

パーティのレベル

いよいよ12月になってしまいました。ついこの間お正月のおせちを作ったような気がするのですが、また1ヶ月もしないうちにおせちを作ることになる。本当に時間は速いものです。これじゃ10年なんてアッという間に経っちゃいますね。

私は、忘年会はあまり出席しない方ですが、ボカボを作ってから、自分達が主催する側に回ることが多くなりました。この間も、去年バリ島に一緒に行った若者たちと「バリを偲ぶ年末パーティ」を4Fで行いました。トロピカル・フルーツとインドネシア名物ナシ・ゴレンなどを用意して、しばし南国気分に浸ろうというのです。

よく行く村に現地の人御用達のおいしい食堂(インドネシア語でワルンと言います)の料理を再現しようといろいろ台所で工夫したのですが、如何せん、あの微妙な味付けにはなかなか迫れない。悪戦苦闘しました。それでも、皆「おいしいおいしい」と食べてくれた。苦労した甲斐があったなー。

参加メンバーは大学・大学院を卒業して就職したひとも多く、これからはなかなか外国に行きたくても行く時間を取るのが大変らしい。奇しくも、バリ旅行が卒業ツアーになった人もいるようです。バリの思い出に花が咲き、「また行きてー」と時たま叫びが上がり、また猛然と食い出す。

クライマックスにはソプラノ歌手までも登場! 愛宮さまの前でも歌ったという素晴らしいシンガー。モーツァルトの「夜の女王のアリア」を生で聞かせてくれました。ほとんど人間業とは思えない天上的な高音……陶然としました。

美味しい料理と気の置けない友人たちと素晴らしい音楽。パーティとしたら、相当高いレベルに到達しているんじゃないかな? アリアを聴いているうちに、この類い希なる時間に涙ぐみそうになる。加山雄三じゃないけど、「僕ァ幸せだなー」。

さて、ロースクールの試験も終盤を迎えています。ボカボもしばらくペースをゆるめますが、また12月末に恒例の年末Real School「冬のセミナー」を行います。毎日小論文や志望理由書を書いて、毎日添削し、毎日ゼミをする。おそらくボカボの講座の中で一番キツイ。大変は大変だけど、Writingの実力も飛躍的に向上するはずです。この実力を上げたい方はぜひお早めにお申し込みを。

そういえば、登山でパーティというと、一緒に山に登る仲間という意味です。ボカボのパーティが盛り上がったように、年末Real Schoolのパーティもきっと素晴らしいメンバーになるはずだと思います。お楽しみに!


Homeに戻る