2008年2月

2/19

笠井叡の舞踏

今はもう2月の半ば過ぎ。ちょっと時間をさかのぼっちゃうけど、1/30に本当に久しぶりに笠井叡の舞踏を見に行きました。彼の踊りを見るのは、何十年ぶりだったかな? 

30年前、私は一夏だけ彼の弟子でした。彼がドイツに行く前、国分寺のスタジオ「天使館」で舞踏講座を開いたので、参加したのです。一週間に5日間。それを4週間ぐらいにわたってやったと記憶している。毎朝、国分寺の駅から坂を下って、森の小道に入り、その奥のスタジオまでとぼとぼ通いました。歩きながら、自分が何を考えていたのだが、今ではもう覚えていないけど、その道の情景だけは目に焼き付いている。

スタジオにはいると、木の床には魔法陣が書いてある。壁には神棚があり、サカキが飾ってある。和洋折衷の不思議な空間。まず朝10時から笠井叡のお母様がしずしずといらして、リードオルガンでバッハの前奏曲などを弾く。それから午後2時頃まで、ひたすら踊るのです。

といっても、振り付けがあるわけではない。ただ彼が選んだ曲を聴きながら、体を動かすだけ。そのうちに、彼も黙って動き出す。横で笠井叡が動くと、何か特別なオーラが伝わってくる。空気が静まる。その中に不可思議な文字が幻視される。シューベルトの『未完成』からキャンディーズまで、鳴らす曲はさまざま。どう動いて良いか皆目分からない曲もあったけど、音楽を身体で受け止める経験は特別なものでした。

この世に天才がいるとしたら、笠井叡は間違いなくそのひとりです。短い間だったけど、私は彼の教えを受けたことを誇りに思っています。笠井は17歳で大野一雄たちのやっていた「暗黒舞踏」に参加。日本の土俗性を強調した「暗黒舞踏」派の中で、ひとりちょっと西欧的な特異なスタイルを持っていました。土方巽や麿赤児が「おどろおどろしい美」というグロテスクのスタイルで嫌いな人も多かったのに対して、笠井叡はグロテスクな面もあるけど、何人も否定しがたい美しさを持っていた。

言葉の使い方も独特。そもそもダンサーで本を書く人など他にはいない。(土方巽が書いたと言うけれど、実はほとんどある有名な詩人が代筆したとか…)『天使論』という理論書とも詩ともつかない不思議な本があります。ピアノの白鍵のMiとFaの間には天使が潜んでいるのだとか…。そんな神秘めかした言葉も、彼の口から出るとリアリティが感じられる。彼の編み出した身体の動きが、その言葉を支えていることが感じられているから。

彼の動きは、なんと言ったらいいか? 受肉した象形文字というのか…正確な意味は誰も分からない神秘の文字が悶えているといったらいいか…そんな感じ。彼の身体はたくさんの意味を発する。一つに固定化するのではなく、意味がそこから発生する場。あるいは古代の儀式…白川静が中国の古代の漢字を分析して人間の始原の姿をイメージさせるけど、笠井叡の身振りはもっと根源的な何かを差し出してくれる気がする。

今回は、去年リサイタルでご一緒した高橋悠二さんがピアノでバッハの『フーガの技法』を弾きました。テンポを大きく揺らしながら、でも即物的に音を重ねていく高橋のピアノと笠井叡の象徴的な身振りは必ずしもぴったりとは合わない。しかし、その齟齬の間で身体が痙攣し悶え苦しむ。どこか陶酔の感じを残しながら苦悶する。それが、キリストのPassion(受難・情熱)の図を思い起こさせる。ただ、その身振りに見えるのは、イエスだけではありません。彼を見る人々、彼に触る人々、その脚、その手、その顔が、要するに世界中が彼の身体の上を影のように通り過ぎていく。その中で、白塗りの顔が、どこかムンクの『叫び』のように無言で叫ぶ…

こういう類い希な人が成長していくのは大変だっただろうな、と思います。だって、彼ほどのレベルに達している人は誰もいないのだから、誰からも学べない。自分を鏡として自分で学ぶという苦難の道。でも、自分の感性に頼っているだけではいつか失速する。普遍的な美と思っていたものが、いつか拗ねたような特殊な形に変わる姿を、私はいくつも見ています。笠井は、そこでオイリュトミーを見つけるのです。オイリュトミーとは、シュタイナー教育の中で発展した声と動きを統合する神秘主義的な体系です。

私も、ドイツから来たオイリュトミストの講座を受けたことがあるけど、母音のaは開いていく形、eは交差する形、などと音と身体を対応させて動かしていく。ちょっとランボーの詩みたいでしょう? 面白い動きではないけど、ある強烈な磁力がある。なぜなら、そこには、個を超越して普遍的なシステムに我身を挺しているという快感があるからです。個に苦しんだ者は普遍にあこがれる。

私もけっこう才能があったらしい。指導者から数年間ドイツに来て勉強したら、と誘われました。悩みに悩んだ末に止めましたけどね。ドイツ語にも自信なかったし、この普遍性に飲み込まれたら、私の個性はどうなるのだ、と思ったからです。私の場合は、大した個性でもないのだけどね。

しかし、笠井叡は、敢然とそれまでのキャリアを捨ててドイツに渡ってオイリュトミーを学んだ。数年して帰ってきたら、15年にもわたる沈黙が続く。国分寺のスタジオでたくさんの弟子を育てたけど、自分はちっとも踊らない。何となく分かる感じがしていた。きっと、シュタイナーの体系性・普遍性と対決しつつ、自分を再確立するのに時間をかけていたのではないか、と思うのです。適当に、評価や賞賛が得られればいいという傾向が強い日本の芸能では、こういう求道的態度はホントに珍しい。

1/30は、久しぶりに戻ってきた笠井叡。その踊りは前と同じで、笠井叡以外ではない。せっかく学んだオイリュトミーも中途半端に振り付けの中に取り入れたりはしない。むしろ、私が30年前に見た笠井叡の姿が、さらにスケール・アップしている。普遍的体系と関わりつつ、其処に安易に呑み込まれず、さらにいっそう個として充実した身体がある。それが逆に普遍的な美と感じられる逆説ないし弁証法。こういうように厳しく自己を確立することは、私にとって一つの理想です。

さて、顧みて私は30年に渡って何を追求してきたのか? あの夏の日から何が変わったのか? そんな問いに直面させる。先々週から、「社会理論モデルを読む」というセミナーをやっています。読んでいるのは、マルクス、マックス・ウェーバー、フーコーなど30年前に私が親しんだ書物ばかり。それにときどき宇野弘蔵まじり。どれもこれも懐かしい面々です。こういう大理論と対決して私は何を確立することができたのだろうか? 日本人は、こういう西欧から輸入された理論に対して、どのように自己確立したのだろうか?   

そんなことを思いながら、毎週のセミナーのためにしみじみ読み直しています。それが何となく笠井叡の踊りと重なっている思いがする、と言ったらおこがましいでしょうか? 分野は違っていても、そこにある精神はつながっている。それが芸術に触れる意味なんだろうな。その意味で、私は彼の舞踏を理解できた、と思っています。

2/13

日本語への関心

この頃、大学とかビジネス界とか、いろいろな方面から「明快な文章を書く」ことについて依頼が続いています。だんだん日本語に対する関心が高まってきて、やっと根本的なところに達してきたのかな、と思います。

正直言って、この頃の「日本語ブーム」に対しては、私はちょっとひいていました。だって、「問題な日本語」だとか「常識!四文字熟語」とか、要するに無駄な蘊蓄ばかりが目立ったからです。

こういう興味はコレクターに似ているかもしれないな。知識を所有しているという満足感に浸る。細かな表現の違いにこだわって、全部知らなきゃ気が済まない。それどころか、それを知らないと日本人ではないとまで言う。ちょっと陰険な排他主義の臭いがします。

私は、細かな表現の間違いに対しては寛容であるべきだと思います。多少言い方がおかしくたって、全体の構成論理が正しく、アイディアが面白ければ充分伝わる。細かな言い回しなんて、時代や使い手によって変わる。たとえば、「コンピュータ」か「コンピューター」か、なんてどちらでもいいじゃないか。

そんなことより、文章表現はコミュニケーション力の第一歩なのだから、他に重要なことがいっぱいある。だから、自分の意見が明快であること、根拠がしっかり示されいること、ステレオタイプでないアイディアであること、それが読者・聞き手にわかりやすい順序であること、などが大事になる。

でも、こういうことは、自分では気づかないことが多い。自分では慣れている思考パターンなので、それが人には通じないことが分からない。指摘されて、あるいは質問されて始めて「ああ、そうか」と分かる。しかも、「何となくおかしいな」と思っていても、現実にどう直せばいいのか分からない。これも、他人から対案を示されてやっと理解できる。そうやって書き方を理解した人は指導者となって、次の人に伝えることができる。

ただ、こういう技法は体系的・普遍的方法に従って、順を追って学び、さらに自分で実践して、他人からの批判を受けるという段階を踏まねばならず、身につけるのがやや面倒です。だから誰も手を付けたがらない。断片的な蘊蓄をひけらかす方が一見派手で手っ取り早いから、そっちへ行っちゃうわけですね。

ボカボはそういう分野を今までほとんど独力で開拓してきた。上のような依頼が多くなってきたということは、そういう努力に対して一定の評価がなされてきたことを意味するのだと思っています。さすがに蘊蓄だけじゃ役に立たない、という実感が現場で広がっているしね。

2/17(日)に開催するオープン・セミナー@神保町(2時から4時まで)では、小論文を中心に、論理的な文章の書き方を初歩から講義します。もちろん、志望理由書にも応用可能。とりあえず、わかりやすい文章とはどういうものか、さっと全体のイメージをつかみたい方に最適です。書き方に悩んでいる方には、きっと参考になると思います。


2/8

本質に戻るセミナー

今週水曜日から「社会理論モデルを読む」セミナーを開始しました。小論文の講義・演習をしていると、構成・表現の指摘だけではなかなか良くならない人がいる。そもそも発想するときの手がかりがないという感じ。だから、具体的な事例についてどう考えるか、と聞かれると、つい新聞・雑誌などでよく出てくるステレオタイプのアイディアしか出ない。

そういうことに気づいて、数年前にZ会出版から『社会科学系小論文のトレーニング』という本を出している。これはマルクスやフーコーなどの理論のエッセンスを小論文の解答に利用する、というコンセプトの本でした。難関の大学の問題ばかりを使ったので、ロースクール・MBA受験者にも好評だったのですが、今回のセミナーはいわばその拡大版です。

最初の三回は、マルクス・ウェーバー・デュルケームなど有名どころに触れて、その社会把握の違いと、そこから生まれる問題点、さらには現代問題との接点などを講義・討論します。後半は、功利主義・立憲主義など、さらに現代的な理論を扱う。

第一回は、マルクスの『ドイツ・イデオロギー』。この講座のために昔必死に読んだ本を引っ張り出して読み直したのですが、懐かしいのなんのって…

とくに宇野弘蔵『経済原論』なんて、かつては日本のマルクス経済学の権威といわれているけど、こういう硬い文体で、しかし論理明晰な本は今絶対にないよなー、としばし感慨にふけってしまいました。本文よりも注が多いスタイルも、いかにも学術っぽくて硬派で新鮮。

講座に参加した受講生たちも、法学書などは読んだことがあるのでしょうが、こういうのは初めてだったようで、「抽象度が高い」「書いてある単語が分からない」と大混乱。書いてあるアイディアを説明すると、「ああそうか」と分かってくるようだけど、一人で読むと何が何だかよく分からないらしい。

そんなことを思っていたら、佐藤優『私のマルクス』がいいよ、と長谷が勧めてくれました。読んでみてビックリ。1970年代にタイム・スリップ! 佐藤優の思想形成史あるいは青春の思い出なのだけど、神学書は別として読んでいた本が結構重なるのです。宇野弘蔵・マルクス・オルテガ・カール=バルト・ルカーチなど、あの頃のビッグ・ネームたちがずらずら。議論している内容も、私の学生時代とよく似ている。

またこういう時代になるのかな、とちょっと嬉しくなってきました。思えば1980年頃から、私は何となく思想界に違和感を感じていた。ポスト・モダンとか言って、格好はいいけど、中身はフニャフニャ。「もう大理論の時代ではない」とか言って、ああでもないしこうでもない、と細かな詮索ばかりやっている。でなければ、とにかく元気にやれば道が開ける、みたいな単純な発想。どっちもイヤだなーと思っていました。

でも、あれから30年ほどたって、時代は大きくまた旋回してきた。マルクスの「労働者窮乏化法則」なんて、福祉国家の時は「非現実的だ」と見向きもされなかったけど、今やプレカリアートの出現・年収200万円時代など、むしろ生の現実になりつつある。私の知り合いの息子さんなど、就職したら、朝6時に家を出て帰ってくるのが1時過ぎの毎日だとか。ほとんど『資本論』にある超過労働そのものです。ソビエトが崩壊して、社会主義という重しがとれたので、資本主義の法則がむき出しになりつつあるのかもしれない。

そういう時代に、「意味の戯れ」などと余裕をもてあそぶポスト・モダンが何の役に立つか、と思うのです。私は今更社会主義に肩入れはしないけれど、もう一度骨太の社会理論を検討しないと、ただただこの資本主義の流れに押し流されるだけだと思う。ボカボの「社会理論モデルを読む」セミナーは、来週はウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を扱います。これも資本主義の成立を考えるうえで最重要な本の一つ。歯ごたえありそうですが、充実感はポスト・モダンの比ではありません。なお、セミナーは今からでも参加可能です。

2月17日には「オープンセミナー@神保町」を(2時から4時まで)小論文の書き方の基礎を講義します。だれでも参加できますから、希望の方は申込みフオームからどうぞ。

2月23日からは「法科大学院適性試験 Review Perfect」が始まります。ベテラン講師の丁寧な説明が好評です。和気藹々とした雰囲気の中、テンション高く進みます。これはビデオ授業にはない臨場感ですよ。

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