2009年2月

2/21

精神科医の来訪

精神科医で、このたび京都大学法科大学院に合格した方が、わざわざ遠いところから「ボカボにお世話になりました」と訪ねてきてくれました。そこまで感謝していただけるなんて、有り難いことです。彼が法科大学院に志したのは、精神医療の分野を何とかしたい、というやむにやまれぬ気持ちからだそうです。

私も聞いてびっくりしたのですが、精神科に入院している患者はすごく多いのですね。彼がいる県では、何と全入院患者の15%に当たるそうです。それも「堆積患者」が多い。要するに、もう退院できる状態にありながら、家族などに受け入れ体制がないために退院できない患者たち。所謂「社会的入院」です。高齢者などでは政策的に「社会的入院」を減らすようになりましたが、精神科はまだそうではない。彼のいる病院では、全体の3/4がそういう状態らしい。

「とくに家族と切れてしまったら、もう二度と地域には戻れない。病院の中で一生終わるしかないのです。この間も一人入院させたのですよ。そうすると、彼の住んでいた地域の町内会長から小学校校長から皆やってきて、『不安だから、絶対に出さないで欲しい』と訴えるんですよ。病院側としては、治る見込みがあるので『そういう約束は出来ない』と説明するのですが、なかなか分かってもらえないんです。ダムと同じで、今はとりあえず受け入れられるが、そのうち決壊するのではないかと思いますよ」

私は決壊どころではないと思います。犯罪者への厳罰傾向が高まるのと軌を一にするように、精神病患者もどんどん隔離しようという傾向になっている。マスコミでも「頭のおかしい奴は一生閉じこめておけば良いんですよ」(「たかじんのそこまで言って委員会」などで言っていたとか)などと平気で言う。だから、精神病患者を社会の中で受け入れる体制はどんどん減り、隔離しようとする。自分達が豊かになるのと反比例して、「豊かさ」に反するイメージが受け入れられない。個人の許容度が低くなるのですよね。

これが続くと「変な人」の範囲は絶対広がるはずです。だって「変な人」を排除した社会はいったん安定するようだけど、そもそも人間社会で問題が起きないことはありえないから、また問題が起こると、その原因となったと思われる「変な人」を排除しようとする。だから「変な人」の数は更に増える。それを壁で囲って隔離するのは良いけど、収容する人数が増えるばかりで、壁の中が広くなる。しまいには、壁の中の方が壁の外より面積が広くなる。壁で囲ったつもりが、自分達の方が壁に囲まれている羽目になる。

アメリカでは、Gated Communityというのが流行っているらしい。自分達を壁で囲って、門番を入り口に立てて、内部だけは安全を保とうとする。昔はゲットーを作って、そこに問題がある人々を閉じこめたけど、それでは足りなくなって、自分達を閉じこめたわけですね。そういえば、昔アフリカや中南米に駐在した商社マンなどは、子どもの誘拐を怖れて、必ず車で送り迎えをしたとか。しかし、これで「正常な社会」と言えるのでしょうかね? 「新自由主義」を進めてきた人たちは、日本社会を、20年前のブラジルとかメキシコ並みの治安にするのが理想なのでしょうか?

こういう人たちは、良いものだけで、あるいは悪いものだけで社会は構成できない、ということを分かっていないのです。金持ちがいるということは、貧乏人もいることを意味するし、「正常な人」があるのなら、その対極に「異常な人」もいる。逆に言えば、貧乏人がいるから「自分は金持ちだ」と自慢できるし、「異常な人」がいるから「自分はとりあえず正常だ」と安心する。物理的に排除しても、必ず意識的には再帰するのです。「ちゃんと葬らないと、死者は幽霊になって帰ってくる」とはこういうことを意味する。良いものも悪いものもひっくるめて、社会は循環している。それを我々は最終的に受け入れるしかない。

そういう寛容を持たずに、意識から「いやなもの」を完全に排除しようとするとどうなるか? 次々と自分の周囲の人を「変な人」に貶めて、自分だけ「正常」になる他ない。純粋化の運動ですね。気がついたら、自分の周囲は全員「異常な人」で自分だけが「正常」ということになりかねない。でも、そうなったら「異常な人」はむしろ自分の方ではないでしょうかね?  

今度の経済恐慌の本質も、実はそういう事態だと私は思う。マネーゲームに参加しない/できない人を「貧困だ」と次々に排除していった結果、結局少数の豊かな人々の中だけでお金がグルグル回りつつ、名目上の価値を増やしていくという状態になった。で、それってどういう意味があるの? 誰かがふっと疑問を感じたところから、そのゲームは崩壊に向かって走り出す。壁の内と外が逆転しているから、最終的に壁の中が外で、壁の外が壁の中であることが明らかになるまで終わらない。そういうことではないか?

この精神科医の話は、私一人だけで聞くのは本当はもったいない。いろいろな人が聞く価値のある問題だと思います。機会があったら、ぜひ彼にはいろいろ集まっているところで話してもらいたいと思う。それは「同じ人間だから尊重しなくちゃ」というヒューマニズムで、精神病や犯罪のことを語りたいからではない。そんな語法で語っても世間は聞きはしない。むしろ、そういう人々を排除することが、もっと大きな禍を自らに招くことをちゃんと認識すべきだと思うのです。そういえば、昔は「情けは人のためならず(自分のためだ)」という良いことわざがありましたよね。

2/11

Perfumeと荒井由美

この頃、Perfumeの歌に凝っています。例の三人組テクノ・ポップ・アイドル。原稿を書くのに疲れると、とりあえずYou Tubeかなんかで、彼女らの歌を一つチェックして「さあもういっちょ頑張るか」という気持ちを取り戻す。

そういえば、毎年この時期私は歌謡曲系にはまる。去年は中村中。今年はPerfume。寒くて体が縮こまり、何だか悲観的なムードになる。それをほどくにはクラシックやジャズだとハードすぎる。やや甘めのメロディーラインで日本語のものというと歌謡曲かJ-POPしかない。でもジャンク・フードにはまるみたいで、ちょっと恥ずかしい。

スタッフのサクライくんにこっそり聞いてみると「Perfumeいいじゃないですか。僕も好きですよ」と言う。へー良かった、同志発見。「90年代、小室哲哉なんかの曲につながるものがあるんで、僕なんかの世代は胸を締め付けられるんですよ。意外にJ-POPの正統って言うか」しばし呆然。やっぱり年の差ってすごい。私はむしろ荒井(松任谷)由美の歌を連想していたからです。

大学生の時だったかな? 荒井由美が周囲で大流行した。Major 7thのコードを多用するサウンド。歌詞も変わっていた。それまでの歌は「何もないけど愛はある」と熱く迫ってくるのが多かったけど、荒井由美はそんな貧しい純粋化はしない。

高速道路を走る車は出てくるし、ルージュの伝言は出てくるし、とにかく恋愛を取り巻くアイテムが豊かなんだよね。だから恋にも余裕があって恨みつらみにならない。愛の商品化というのか、それとも商品が愛化するというか、恋愛そのものより取り巻くアイテムの方が前景に立つ。むしろ、そのアイテムを確認することで、これは恋愛なんだと納得する構造になっているというか。

Perfumeでは『マカロニ』という曲がこういう雰囲気にちょっと近い。男の子と手をつなぎながら歩くという他愛もないバラードだけど、愛の深さを歌い上げるのではなく、むしろちょっとひいたところから微妙な距離を確認する。♪このくらいの感じで いつもいたいよね このくらいの感じで たぶんちょうどいいよね、などと。その距離の取り方が恋愛であるというような逆転がある。 

そういえば、ここにはマカロニのスープもアイテムとして出てくる。恋愛とスープををくっつける趣向は、荒井由美『チャイニーズ・スープ』にもあった。だったら『エレクトロ・ワールド』は「第三京浜」なんかに対応するのかな? 『チョコレート・ディスコ』のあっけらかんとした明るさだって『ルージュの伝言』にどこか似てやしないか?

え、そりゃ違うだろうって? たしかに私も全然違うはずだとは思う。でも、聞いているうちに、どんどん妄想が進み、現在が過去によって意味づけられてしまう。きっと、私の認識枠は70年代のどこかで決定されちゃっているんですね。だから、何を聞いても♪また繰り返す ポリリズム リズム リズム…ってな感じになっちゃう。

年を取った証拠でしょうか? でも私の半分の年齢のサクライくんが同じような感想を持っているわけですから、そういう感じは世代を問わないみたい。彼の認識枠は90年代の小室哲哉によって決定されているらしいけど、でも「Perfumeを聞くと昔の歌を思い出す」というところは共通です。

つまり、彼女らの歌は『エレクトロ・ワールド』とか『コンピュータ・シティ』などと先端的な意匠をまとっているけど、その本質は過去への引き寄せにある。我々は皆どこかで決定されたネットワークの中で際限なく回っているわけだ。だから何を見ても、もうどこかで出会ったというデジャ・ヴュになる。何を見ても、もうネットワークの中ですでに意味づけられて、どこにも出口がない。だから、♪また繰り返す ポリリズム リズム リズム…その空しさと同時に、この自同律はどこか懐かしくもある。そういえば、Perfumeは次のようにも歌ってた。♪とても大事な君の想いは 無駄にならない…

さて、今週は慶応大学の入試があります。「冬のプチゼミ」の諸君を初めとして、ボカボの大学受験生諸君、こんな感傷はぶっ飛ばして「この小論文問題は見たことがあるぞ」というポジティヴ・ポリリズムでやってきてください。そのエネルギーをもらえば、私たちもまだまだ頑張れますからね。

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