2009年5月

5/27

ロスコの絵を見ていろいろ考える 

金曜日に千葉県佐倉の川村記念美術館にマーク・ロスコのシーグラム壁画を見に行きました。ロスコは好きな画家の一人。しかも、今回は10数点一挙展示だそうで、めったに見る機会がないので、千葉の内陸まではるばる行ってきたわけです。

それにしても遠いな。千葉市からさらに電車で20分ほど。そこからバス/車でさらに20分。中原中也じゃないけれど、「思えば遠くに来たもんだ」と言いたくなる。たんぼの中に島のように林が残されている典型的千葉の田園風景の中に、奇跡のように深い森がある。その中に、美術館がまるで西洋中世のお城のように立つ。目の前には白鳥のいる湖。なんという「芸術の別天地」。少々やりすぎの感もないではないけど、意気込みはよく分かる。

度肝を抜かれたのは、庭に飾っているフランク・ステラのどでかいガラクタ彫刻。ステラって言っても、ほとんどの人は分からないでしょうね。私は70年代藤枝晃雄という美術批評家にいかれていたが、そこで「地と図の区別が付かないミニマル絵画」として称揚されていた。線と色面だけで構成され、形も極端に切り詰められた禁欲的な絵を描いていた。それが80年代から、豊富な色彩、ガラクタの山などむくむくと変貌を遂げる。禁欲っていつまでも続かないものなのかもしれないな。何だか、若い頃の宿題にあったみたいです。

展示してある作品はレンブラントの肖像画から、シャガールとかピカソなどのよく知られた作品までいろいろ。でも、目玉はなんと言ってもアメリカの現代アートです。映画にもなったジャクソン・ポロックの作品もあるし、白と赤だけのバーネット・ニューマンの作品もある。とくに、ニューマンの作品は、広い一部屋まるまる占拠している。窓には紗がかかって、外の樹木の葉が風にそよぐのが見える。空間を贅沢に使って、美術館が田舎にあることの良さを感じさせる仕掛けになっている。

そして、お目当てのロスコの壁画。Chicago Art Instituteでも、彼の絵の前に1時間ほどたたずんでいたことを思い出しました。彼の絵はカラー・スペースと言われ、二つか三つの矩形(つまり四角形)が違った色で上下に(たまに左右のこともある)いくつか描いているだけ。さっぱりした絵です。ただ、よく見ると、色も形も意外に複雑。赤と一瞬見える色でも、そこに何種類かの赤が微妙に塗り込められていたり、一つの色のスペースと他の色のスペースの間もかっきりと区切られず、妙にぼやけている。ちょっと高級な言い方をすれば、一つの色が他の色の領分を侵し、また退却する。その微妙なバランスにおいて、スペースの配分が決まっている、なんてね。

「箱庭療法」って知っていますか? 精神的問題を抱えている子どものための治療法なのだけど、砂の入った30cm四方ぐらいの箱に世界を作らせるのです。砂を集めて山を作ったり、砂をどけると下から青く塗った箱の面が出てきて、海や池になる。そこにプラスティックの人形や植物を並べる。いろいろやってみると「これこそ自分の世界」と思えるような形が出てくる。

ロスコの絵もそんな感じがする。この色面をどこで終わらせ、どこで始めるか、どんな風に連続させるか、執拗にいくつかの色で画面を分割する試みを続けるのは、自分が世界に存在する状況をそのままなぞっているのではないか、と思うのです。言語学によれば、言葉は世界を「…である」と「…でない」を分割することだと言われます。すると、ロスコの絵はスペースを「…である」と「…でない」を分割すること。つまり、言語とか観念の隠喩になっているのかもしれない。

今度のシーグラム壁画では、暗い赤(解説にはマルーンと書いてある)の地の上にやや明るいオレンジで矩形の輪郭のようなものが描いてある。しかし、その輪郭は太く、境界も微妙にぼかされる。じっと見ていると明るいオレンジの方が地で暗い赤が図のようにも見える。さらに、その一色と見える赤やオレンジにも微妙な階調が見分けられ、同質ではない。

同質性と異質性。境界と融合。図と地の反転。単純な構造なのに、視線は一所に定まらず、フラフラと動きだす。自分という視点を作り出す場所が急に不安定になって、そういう自分を見つめ直す自分が現れる。さらにそういう自分を見つめる自分が…幽体離脱みたいな効果がある感じ。

私は、彼の絵を見るとアンダーソンの『想像の共同体』という言葉を思い出す。国家とは実体的なモノと言うより、想像の所産であるという議論なのだけど、想像の産物が自分のアイデンティティを決めたり、生死を決めたり、虐殺したり攻撃したりするのは何とも不条理なことです。その矛盾に直面して、それを表そうとすると、「あちらか/こちらか」という境界をつけるという行為を繰り返すことでしか表せないのかもしれない。そんな感じがあります。

実際、マーク・ロスコの本名はマーカス・ロスコヴィッチ。ユダヤ系のロシア人です。1913年にアメリカに移住。政治的迫害を受けたわけではないけれど、自分は誰か、生き残れるかどうかが、国境や政治によって決められる人々の一員と考えれば、こういう解釈もあながち無理ではない。

ロスコの絵画はよく「瞑想的だ」と言われます。実際に、その前でヨガのポーズを取る人もいるらしい。でも、彼の絵画は、ヨガや神秘主義、スピリチュアリズムなど超自然的な存在と自分の一体となるという感じとは関係ない。むしろ、自分は何か?、自分はどちらなのか?、殺す側か殺される側か?という心理的負荷をかけられる。そういう現在の社会的背景があるから、彼のような絵画が共感を呼ぶのではないか、と思うのです。

ところで、美術館では、学芸員らしい人が一生懸命説明していました。聞いてみると、「この絵を委嘱されたのは大画家と認められたことなので、彼は制作に取りかかったのですが、結局場所が気に入らなくて、契約を破棄した」などとあまりにゴシップ的でビックリ。まあ、この絵をどう受け取るか、人それぞれだから、あえて一つの解釈を押しつけないという意味では、こういうやり方しかないのかも知れないけど、そういう解釈保留的態度が結局ゴシップ解説にしかならない、というのは面白い現象ですね。

5/19

ストリートワイズのエネルギー

本年度のアカデミー賞を総なめにした『スラムドッグ$ミリオネア』を見ました。いやあ、良かった。久しぶりに「映画を見た!」と言える貴重な体験でした。

ストーリーは『クイズ$ミリオネア』というTV番組に出演したスラム育ちの若者が、質問に次々答えて、2000万ルピー(≒4000万円 インドの貨幣価値を考えるとその10倍と考えて良いかも)という大金を手にする話。教育も受けていない若者が、どうしてそういう知識・情報を身につけることができたのか? その謎解きの中で、現代インドの社会変化が鮮やかに映像化される。日本では、なかなかこういうスケールの大きい映画が作れなくなっちゃったね。皆「家族」だとか「恋愛」だとか、等身大と言えば聞こえは良いけれど、個人で閉塞する問題ばっかり。でも、インドではまだこういう社会を巻き込む「大きな物語」が成り立つ。

懐かしかった光景は、街頭テレビを皆で見て興奮していること。これ、日本にも40年前にありました。テレビが高くて家庭では買えなかったので、電気屋の前でプロレスとか見ていた。私は岩手の祖父の家にいたけど、テレビを買ったら毎晩村中の子どもたちが見に来た。40人もいたかな? 祖母も「お菓子代が大変大変」と言いながら、子どもたちが集まるので楽しそうだった。次の年には、皆他の家でもテレビを買ったので、子どもたちはぱったり来なくなったけど…。あの一年間が私の人生の中で一番賑やかで活気に溢れていた気がする。その熱気がインドでは今起きているのですね。

映画ももちろん良いのだけど、私が感心したのは原作の力です。ストーリーは簡単に言うとメロドラマ。初恋の女性を救うために男の子が頑張る。都合の良いパターンと言えば言える。しかし、それがちっとも不快ではない。なぜなら、そのシンプルなドラマの背景となる社会の振幅がいかにも大きいからです。社会のエネルギーがドラマの力を支えているのです。

母は、ヒンズー教徒によるムスリム虐殺で死ぬし、主人公は孤児になって危うく盲目の乞食にされそうになる。そこを逃げ出して、タージ・マハールで観光客ツアーをして儲ける。でも、初恋の女の子が忘れられなくて、ムンバイに舞い戻る。そこで…などなど、ほとんどインド版『オリバーツイスト』。孤児の運命を辿る中に社会矛盾が鮮やかに表れる。

いつから、日本の作家は自分の狭い体験の世界に閉じこもって、こういう書き方をしなくなったか? 本当に不思議です。そういえば、前に山田詠美だったか、学校でのいじめ体験なんかこまごま小説に書いていて「ドンくさくて、いやだなー」と思ったことがある。いじめは社会問題ではないと言いたいのではない。ただ、そういうところでじくじくと閉塞しているあり方が社会の共有事項という状態がイヤなのです。

この映画に出てくる子どもたちは、貧困や犯罪が日常の悲惨な生活をしているのに、いや、あるいは悲惨な生活をしているからこそ、システムと自分の矛盾に悩んだりしない。むしろ、システムの恩恵を十分受けられないのなら、その裏をかいて生きていこうとする。「ストリートワイズ」という言葉があるけど、現場でad hocに身につけた知恵と情報を元に生き抜いていく。タージ・マハールでめちゃくちゃな観光ガイドをし、聖なる場所だからと言って、観光客が脱いだ靴をかっぱらって、市場で売る。

ある法哲学者によれば、「自己決定」には効率的価値と成長的価値、さらには象徴的価値があるという。効率的価値とは、自分の幸福は自分が一番よく知っているということ。他人から指図されると、必ず無駄が生じる。成長的価値とは、「自己決定」すると、それが成功でも失敗でも自分が知恵を付け、成長するということ。象徴的価値とは、「自分が自分の意志でやる」ということはそれだけで価値であること。

「ストリートワイズ」の価値とは、この「自己決定」そのものです。自分の直観に基づいて、そのときに良いと思ったことをやる。その結果がどうあろうとも、自分が生き抜きさえできれば、確実に自分は成長し、自信を持てる。それは必ず最後には良い結果を生む。その確信の強さがインド社会に存在することが、この映画のエネルギーを支えている。

その象徴がクイズ番組ですね。street levelで身につけた知識を元にのし上がっていく。それは弁護士・医者などの社会にbuilt-inされた「有利な職業」ではないけれど、しっかり現場と結びついている。「100ドル札の表に誰の顔が描いてあるか?」。その答え「ジョージ・ワシントン」を教えてくれるのは、幼い頃に盲目にされて物乞いの歌手にされた友達です。だから「ストリートワイズ」が弁護士・医者などを凌駕して勝ち抜いていく。トリヴィアであっても、たんに「歴史」の授業で習った知識と深さが違うのだ。

途中で、クイズ番組の司会者が「オレの番組をぶちこわされてたまるか」と嘘の答えをこっそり教える。しかし、主人公はその答えをそのまま言わない。自分の権力を守るときに、人間はルールを無視する、と分かっているからです。司会者は“He cheated us. ”と言って、主人公を警察に引き渡して拷問させる。しかし、嘘を教えたのは司会者の方。どっちが詐欺なのか? しかし、そんな迫害があっても、彼は文句を言わない。 

現在の日本では「他責的な人格」が増えているという。自分が貧乏なのは、出世できないのは、社会のせいだと言って、無差別殺人を犯したりする。「殺すのは誰でも良い。死刑になりたい」なんて言う。こういう行動パターンが出てきたのは、自分が行動することで生き抜いてきたという自覚がないことに起因すると思う。「誰かのせいでこうなった」「システムが悪い」「社会が悪い」。

もちろん、そういう面がないとは言えないけど、そんなムードばかりが日本社会に蔓延しているようでは、自己の力で生き抜いていくというエネルギーはとても期待できない。皆、有利な社会的地位を得ようと汲々となるか、社会を恨んで犯罪を犯すしかない。でも、その犯罪までもけちくさくなって、ストリートから観念に移り変わっているのが現在の日本というわけ。なんか情けなくないか?

もう一つ私が好きだったのが、主人公の兄貴役。ギャングの手下になって、金儲けをして、最後は弟の恋を後押しするためにそのボスを拳銃で撃ち殺す。死ぬ前につぶやく言葉が良い。God is Great! イスラムだから、アッラー・アクバルかな。一瞬、自爆テロに赴く若者を思い起こさせる。成功する弟を前に、自分は破滅する。しかし、弟に夢をかけて、自分は敢然と死に赴く。「アッラー・アクバル」。本当にこういう確信を「狂信的」なんて片付ける人々に対する強烈な批判になっている。

監督はイギリス人ダニー・ボイル。名作『トレイン・スポッティング』を作った人です。あの映画も失業中のイギリスの若者の心理を批評的かつファンタジックな映像で構成していて見事だった。暗い話題なのに、それを奇抜な映像で快く見せる。しかし、今回もすごいね。街の喧噪を映し出す映像の巧みさ、スケールの大きさなど、これ以上ほめようがない。

とくにラストのいかにもインド映画っぽいダンスシーンの引用など。ダンスシーンはインド映画のお決まりだけど、これがたんなるインドの悲惨な現実を忘れさせる幻想ではなく、批評的なシーンになっている。これは、その前に夢物語ではなく、インド社会の矛盾をしっかり描いているからでしょうね。地域的様式が普遍的な美として生まれ変わるには、何が必要なのか? 「リアルな認識」。そういうメッセージがさりげなく現れる。この映画を「国辱的だ」と言ったヒンズー至上主義者がいるらしいけど、そういう人たちに対してもきちんと応答している。「気配り」とは、本当はこういうことを言うのだ。

これほど良い映画なのに、劇場には20人に満たない数の観客しか来ていない。残念だ、皆もっと見ろよ、つまらないトラウマなんかにこだわらないでさ。言っちゃ悪いけど『おくりびと』なんかとは比べものにならない圧倒的な迫力と美しさと知性なんだからさ。世界にはまだまだすごい人々がいる。「日本映画がアカデミー賞を取った」なんて妙な国粋意識に凝り固まらないで、こちらを見なさい、ホントだよ!


5/6

ワールド・ミュージックという幻想

またバリ島のウブドからの通信です。バグース・マンデラさんから「コンサートの招待状があるから行ってみる?」と誘われました。招待状を見てみると、どうもユネスコが主催しているプロジェクトらしい。参加メンバーも大物揃い。ツトム・ヤマシタの名前もある。彼は70年代に活躍したパーカッショニスト。現代音楽なのに、レコードを驚異的に売り上げ、一躍世界的スターになった。昔ファンだったので、一度ナマのヤマシタを見たいと思い、バグースについていきました。

会場に着いてみると、入場料は無料なのに、聴衆がほとんどいない。後ろの椅子席には、ウブドの王家の面々が集まっているのだが、桟敷席には20人ほどいない。ステージは、バリ島には珍しく、ちゃんと近代的照明設備もPAシステムも完備。司会者として、きれいなお姉さんが上品に最初の曲の演奏者を紹介し(1曲目にツトム・ヤマシタはいなかった)、ユネスコが主催していることを述べ、アジアの音楽交流のためという意義を説明し、さて始まった。

だが…バリのリズム、マレーシアの節回し、ジャズ・プレイヤーの参加など、耳障りの良いキーワードは満載で「世界の音楽の交流」という看板に間違いはないのだが、そのわりには何だか音楽がさえない。たとえば、打楽器がリズムを打ち鳴らしても、ちっともグルーヴ感がない。

今度もそうだったけど、バリの葬列では、棺の後に15人ほどのシンバル部隊が複雑なリズムを刻みながら、行進していく。そのリズムがすごく良い。顔を見ると、皆10-20代の青少年。それが隣の奏者と息を合わせ、身体中で飛び跳ねるようにシンバルを打ち鳴らす。ちょっと青森のねぷたを思い出す。そういう姿をさんざんバリで見てきたから、この「ワールド・ミュージック」の停滞ぶりはいったいなんなんだー。

思えば、さまざまな地域の音楽を組み合わせて、ワールド・ミュージックを作ろうという動きはけっこうあったけど、どれも目立った成果を上げていない。こういうイベントはたいてい政治的なかけ声ばかりで、真の音楽的な達成になっていない。オリンピックではないけれど「参加することに意義がある」だけ。それでも、オリンピックは一位・二位など明快に勝負が付くから、ドキドキもするのだが、音楽では何がどう良くなったのか分からない。とりあえずノリが良ければ良いのだけど、ユネスコの楽隊はにわか仕立てなので、どうも息が合わない。

異質なものと出会ったとしても、それだけで出会いの喜びがあるわけではない。自分のゲームと相手のゲームが融合し、そこに新しい共有のゲームの規則が出来たときに出会いは現れる。その前は、自分と相手の間でどちらが主導権を取るか、出方を見ながら、あれこれ試行錯誤が続くだけ。この「ワールド・ミュージック」は、まだそういうプロセスの途中にある感じがします。

だから、まだ音楽として未熟な感じが残ってしまう。美という点で言えば、伝統音楽の方がずっと優れている。実際、ドラムの合奏では、皆が息を合わせるところでは、一人の奏者が左手を使って指揮をしていた。つまり、指揮者/演奏者という西欧オーケストラ風のヒエラルキーに頼っているわけ。逆に、指揮者がいない合奏では、どう聞いてもロックないしポップ・ミュージックのリズムを使っているとしか思えない。

これのどこが「東西音楽の融合」なのか、私には理解できない。たんに、いろいろな場所から奏者を集め、西欧的ないし資本主義的秩序にはめ込んだだけではないのか? グローバル化のむなしさ。

噴飯モノだったのは、倍音を使った曲。ベースがハーモニクス(あるいはフラジオレット)を使って、音を出す。弦をしっかり押さえないで、ちょっとだけ触れて高音を出すという技法です。それを聞きながら、歌手たちがそこに含まれる倍音を出していく。そうすると、音波が重なって、そこで出されていない高い音も聞こえてくるのです。

これは私もやったことがある。うまく音が合うと、天上的な高音が出てきて陶然となる。ただ、それはあくまでナマでやった場合。この「ワールド・ミュージック」では、何を間違えたのか、PAを使って歌声を拡大している。だから、せっかく高音が出ても、マイクのハウリングにしか聞こえない。これでは、聴衆は、いったい歌手たちが何をしていたのか、さっぱり分からなかっただろう。

こういう風に、すべてがちぐはぐなのだ。途中で電気が落ちて、照明は消えるし、電気楽器は使えなくなる。しょうがないので、奏者はやけになって打楽器を打ち鳴らす。それを聞いていた子どもたちがやんやの喝采。その様子を睨みつけるベーシスト。思い通りにならなくて腹が立っているのは分かるけど、その了見は狭すぎやしないか? バリでやるのなら、これぐらいのテクニカル・アクシデントは予期すべきだ。

昔のバリでは、楽団が演奏するときには、ココナツ油を燃やしてたいまつにしていた。ガムラン音楽はそもそも数種の打楽器リズムの重なりから生まれる。だからロックよりもジャズよりもノリの良い音楽を聴かせてくれる。電気が使えなきゃ出来ないコンサートなどニューヨークででもやっていればいいのに。わざわざバリでする方が間違っている。結局、ツトム・ヤマシタは最後まで出てこなかったし、このコンサート自体がフェイクだった感じがする。

まあ、ユネスコが援助する文化など、こんなレベルにすぎないのだろうね。ホントに情けないナー。横で聞いていたバグース・マンデラさんも「ハーモニーが欠けていたね」とばっさり。国連は、こんなバカな文化融合に金を出すより、バリの伝統音楽の育成にもっと金を出すべきでしょう。グローバル化とは、たんに文化レベルの低下にすぎないことを、もっと国連官僚たちは自覚すべきだと思います。


5/1

バリ風お葬式の作法

今、インドネシアのバリ島に来ています。リゾートではなく、バリでお世話になったプリアタンの王族チョコルダ・パルタさんのお葬式に出席するためです。5/3に火葬。ちょうどゴールデン・ウイークに当たっている。

ボカボの長谷眞砂子は34年前に始めてバリに来たときに、この方に深くお世話になったとか。彼女は、毎年のようにバリに来るのですが、それもチョク・パルタさんがいるから、ということが大きな理由の一つのようです。その頃は、まだ村には電気がなかったと言うけれど、私が18年前に来てからだけでも、バリは随分変わったという感じがする。

クルマが多くなったし、レストランは増えたし、ダンスの照明も多彩になった。でも、バルタさんの家は昔のまま。昔と同じように綺麗な庭。昔と同じ質素な部屋。挨拶に行けば、昔と同じように、ヒンズーの哲学を語ってくれるチョク・パルタ、という組み合わせ。それが変わりゆくバリの中で、変わらない部分をずっと保証していた。いわばバリの臍のような存在です。

だから、来るたびに必ずと言っていいほど、パルタさんのお家スマラ・バワに滞在する。一泊20ドル弱の水風呂だけの部屋だけど、とにかく安心する。落ち着く。故郷に帰ってきたような気分になる。「世界で一番美しい庭」とスマラ・バワの庭を言う建築家もいるけど、その庭を見ながらベランダでお茶を飲む。至福の瞬間です。その部屋に、今はパルタさんの遺体が安置されている。何とも不思議な感じです。

バリのお葬式はとても面白い。結婚式よりも派手です。一ヶ月も続く。途中で踊りはある、漫才はやる、影絵芝居も演ずるといった具合。皆おしゃれして、晴れやかで幸福そうな顔をしている。お向かいの往年のバリ・ダンスの世界的名手、グン・バグースによれば、「結婚は二人だけのことだけど、お葬式は村の皆に影響があるからね。それにやっている期間が長いだろう。最初の内は悲しいけど、それも二、三日で終わる。皆きれいな着物を着られるし、そのうちハッピーな気分になるんだよ」。

つまり、お葬式は気分の再生でもあるわけですね。いつまでも悲しんではいられない。明日からまた楽しもう! と人生の貴重さに気づく。そういう気持ちを確認するプロセスでもあるのです。それに、葬式では親戚の男たちは朝から晩までトランプ博打をやるんだとか。これも分かる。運命に翻弄されつつ一喜一憂。人生の見事な比喩になっている感じがします。

そういう意味なら、日本でも、お葬式はもっと長い時間をかけてやった方がよいと思う。期間が短いから、悲しいまま始まって悲しいまま終わるだけ。これでは単調すぎて、悲しみから癒される余裕がないと思います。しかも、この頃は、親戚が何回も集まれないからというわけで、お葬式と初七日を一緒にやるのがほとんど。なるべく期間を短くしてすぐ日常に戻ろうとする。まるで、死というイベントがあったことを、さっさと忘れようとするかのように。

でも、これは良くないと思うな。死を抑圧しているのと同じだから。抑圧したものは、必ず別な仕方で帰ってくる。きちんと葬られなかったものが怨霊として帰ってくるように、軽んぜられた死は、別な仕方で日常に悪影響を与える。追放したつもりでいて、実は死に祟られている。死が次第次第にアモルファスに日常に浸透して、生も死も区別が付かなくなる。だから生きていても何か喜びがない。これが日本の近現代の一般的気分のような気がする。

生産を重視する社会は、実は人間を大量に消費する社会でもある。消費された人間は、「無名の戦士」としてただ忘れられるだけ。生だけに焦点が当てられ、死を忘れて我々は貪欲に生を楽しもうとする。だから、忘れられた人々は別な形で日本に復讐しようとする。かつての戦死者を巡る議論が錯綜を極めているのも、そういう姿勢の結果ではないか、と思うのです。

これから、高齢社会を迎えて、一番重要なのは葬送の儀式だと私は思う。生きている人間たちは、今まで忘れようとしてきた死を引き受けて、十分に時間をかけて精一杯死者を弔ってやらなければならない。むしろ生きている人間以上に…。それが人間を消費するだけでなく、尊重するということを示す唯一の道だろう。そういう時間の使い方が、結局、生きている者にも「自分達も尊重されるのだ」という確信を与え、力づけられる。過去をねんごろに葬ることが未来の安定を保証する。葬式とは、本来そういう循環のサイクルをしているのではないでしょうか? 

人間はずっと葬式という活動の中で自分達の生きる「時間」を確認してきた。そういう意味でなら、時間の起源は生きている人間同士のコミュニケーションのためなんかじゃない。むしろ、葬送の中で時間を意識し、時間を見いだしてきたのではないでしょうか? それどころか、言葉がまず過去に起こったことを伝えるメディアだとしたら、言葉自体、葬送という儀式の中で生まれてきたのではないか? バリのお葬式の丁寧さを見ていると、そんなことを強く思うのです。

 

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