2009年12月

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芸術仕分け、科学仕分け?

前回、一般の人に影響力を持っている芸術ネタのマンガがいかに現実を映していないか書いたけど、演奏家に聞いてみると、実際の音楽界はさらに奇々怪々だとか。たとえば、音楽大学を受験しようとすると、たとえばバイオリンなら「うちを受験するつもりなら、1,000万円以下の楽器では認めません」と言われるのだとか。つまり、その値段の楽器を買わないと受けさせない、ないしは受験しても落とすよ、と暗黙のうちに脅すわけ。

じゃあ、その1,000万円する楽器がどれほどいいのか、というとよく分からないらしい。バイオリニストに聞いてみても、「200万円の楽器よりは500万円の楽器の方が良く鳴るのは分かる。でも、1,000万円の方が500万より良いか、というとビミョー」だそうです。あえて言えば「好みの問題」なのだとか。

それでも「分かる人には分かる」のか? そうでもないらしい。あるバイオリニストは学生の時、コンクールに500万円の楽器で出て入賞したのだけど、そのときの審査員評が「よく音が鳴っていますが、これは楽器に助けられたせいで、あなたの表現が良かったわけではありません」だったとか。でも、500万円の楽器で「良く鳴った」のなら、この演奏家の技量のはずですよね。それなのに「楽器が良いから」とは? 

つまり、プロフェッショナルの審査員ですら、実は楽器の良し悪しなんてちっとも分かっていない。あるいは、楽器の良さは値段と関係ないのどちらかなのです。それでも、1,000万円の楽器を買わせようとするのだから、誰かが不当な利益を得ているわけですね。買わされる方はたまったもんじゃないから、皆「本当にこんな高い楽器を買って良かったのか?」と不安になるらしい。不安を鎮めようと、音楽家には宗教にかぶれる人が多くなるとか。さる宗教系の芸術鑑賞組織が隆盛しているのには、こういう音楽業界の構造問題があるのです。

聞けば聞くほど「崇高な芸術」という名の下にメチャクチャなことが行われているらしい。経済や政治に疎い「芸術家」たちがだまされて金を引き出される。それが現実のようなのです。

そういう話を集めて『裏のだめカンタービレ』や『裏ガラスの仮面』を書いたらさぞ面白かろうと思います。ボロボロすごい話が出てくると思いますよ。ついでに、こういう悪癖を改善するために「事業仕分け」だけでなくて、「芸術仕分け」もやったらいいのに。そうすれば、「お芸術」の権威がぜんぶ剥げて、ずいぶん社会はフェアになると思います。

ところで、実際の事業仕分けでも、スーパーコンピュータの予算がストップになったとか。それに対して、例の野依さんをはじめとしたノーベル賞科学者たちが「科学立国の理念に反する」と反対声明をしたそうだけど、これも『裏のだめカンタービレ』と似たような匂いがする。「科学立国」と「競争力」とか言えば何でも通る、と思っているのかな。野依さんは安倍首相の時の教育再生会議のときにも「ちょっとなー」と思ったけれど、今度のことでも「ちょっとなー」です。

そもそもスーパーコンピュータを使って何をしようというのか? マスコミに流れている話は、円周率を何万桁か計算できるといことばかり。でも、これじゃ説得力がないと思う。「科学の世界では一番だけが意味がある」なんて言っているけど、運動会じゃあるまいし。それが説明できないのでは、やや言葉の力が足りないのではないかと思う。

芸術の権威が芸術界のデタラメを正当化しないように、科学の競争力というだけで何十億も使って良いということにはならない。そもそも政府の紐付き科学でどのくらい競争力が出てくるのか。政府に頼らなきゃ研究が出来ないというのは、科学のイメージとしても良くないよね。




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