2010年3月

3/20

●今年の結果

もう3月も半ばですね。私の住んでいるところでは、もうコブシの花が咲き始めました。あの暖かみのあるちょっと黄色が混じった白い花を見ると、「ああ、やっと春になったんだナー」と思います。

しかし、今年の冬は寒かった。温暖化なんていったいどこの現象なのか、と思う。そもそも、温暖化論議はちょっとアヤシイところが多かったけどね。でも、マグロ規制の失敗と共に、何でもかんでも「環境問題」として、政治・社会問題化する傾向は少し下火になるだろうし、ぜひなってほしいと思う。

実際、リビアの「討議打ち切り」の発言はかっこよかったですね。報道では「日本は情報戦に勝った」と言われているらしいけど、要は先進国側(とくにヨーロッパ)途上国側との対立でしょう。マグロがなくなったら日本も世界も困る。資源として管理しようという姿勢を取るしかないじゃないか。それを種の絶滅寸前だと強弁して、ワシントン条約で規制しようなんて、まったく正気の沙汰とは思えない。

シー・シェパードに限らないけど、環境保護派の狂信ぶり・脳の暴走ぶりは目に余る。もうある程度の役割は果たしたのだから、さっさと消えるのが、世界と歴史のためだと思う。

だいたい、森林保護とか言ったって、もともと伐採をバッサバッサやったのは、ヨーロッパなんですよ。日本の方がずっと現存する森林のパーセンテージは高い。それを自然破壊が過ぎる、なんて今さら言えるのか。

さて、八つ当たりはこれくらいにして、もうすぐ4月。ボカボも年度の終わりになって、いろいろ名簿の整理をしました。すると、真面目にやった人は、ほとんど合格しているという事実に気がつきました。添削者からは毎回添削され、「まだまだです」なんてボコボコに言われ、評価がC+なんて場合ですら、毎回の課題をとにかくなるべく遅れずに提出し、真っ赤に直されてもめげずに続ける。こういう人は大抵受かっているのです。

もちろん、その回数も期間も色々。長い人は希望のところに入るまでに2年かかっていたりする。とくに社会人の場合は、働きながらやらなきゃいけないのだから、しようがないよね。それでも「継続は力なり」で、続けていれば必ず結果が出るのです。これは、現代みたいに先がどうなるか分からず、グローバルな状況変化に振り回される時代においては、ちょっと感動的な結果ではないでしょうか? 自分の努力を信じてよいと言えるからです。

私は最近トマス・アクィナスの『神学大全』なんかを読んでいる。トマス・アクィナス知っていますか? 西洋中世のもっとも完成度の高い哲学=神学者と言われているらしい。もちろんラテン語を読むのはとても無理なんで英語バージョンですが、トマスが言う「神は存在する」という確信=オプティミズムはほとんど救いのように感じる。「神は死んだ」なんてイキがれるのは自分が元気なときだけ。危機の時代ないし自分が弱っているときには、むしろ真善美を保証してくれる存在を信じられるという知恵の方が必要なんだと思う。

「この世は基本的にはいいものなんだ」といういうことを言うのに、トマスは長大な書物を書いた。肯定するために、それほどのスペースを費やさないといけなかったというのは、外の状況がよほどひどかったのではないか、と思うのです。ボカボもこの世を肯定するための場所でありたいし、今のところそうなっているようなのは、本当に幸運なことだと感謝したい気持ちです。

今週で、法科大学院適性試験Review Perfectはお終い。来週土曜日からは、「Weekend小論文Gym」が始まります。これは、4月から5月までボカボでReal Schoolがないことから設けられました。少しずつ経験を重ね、実力を伸ばし、夏から秋にかけての試験に備えようという講座。トマスのオプティミズムにもぴったりかもしれませんね。



3/11

●日中韓が仲良くなる方法

日本、中国、韓国はずっと感情的にゴタゴタしているようですね。この問題を解決するためのアイデアを長谷眞砂子が提供。私もこれは特効薬の一つだと思うのでここで紹介します。

日本、中国、韓国の作家に小説を合作させるのです。 テーマは日中韓の近代史に取材した歴史小説。でも、史実がどうだったのか、すりあわせるなんてとケチなことは言わない。創作・捏造は自由。ただし、一章ずつ書き手は交代する。昔ならフォークナー、この頃では、村上春樹がよくやる手ですね。日本の作家が書いたら、次は韓国の作家。その次は中国の作家、なんてね。読者アンケートも途中でとって、読者の気に入りそうなエンタテイメント風の展開を心がける。

どんなに相手国を罵倒する展開にしても構わない。日本人全員を一寸刻みに切り刻みたければ、そうすれば良いし、逆もまた可。原爆を落とそうが、水爆を落とそうが構わない。ただし、約束事が一つ。相手国の異性/同性とのラブ・ストーリーを絡めること。中国の女スパイと日本の高官の恋とか。逆に日本の美男のスパイと韓国の大統領の恋とかさ。

作家たちは四苦八苦はするだろうね。テクニックの限りを尽くして書いても、次第にアイディアは枯渇する。途中で「もういやだ」と言い出すかも知れない。そうしたら作家交代。次の人が書き継ぐ。駅伝の要領だ。

もちろん、ラブストーリーに仕立てるという基本線さえ守れば後は野となれ山となれ。面白ければ、どんな展開にしても構わない。最初の内は、双方の恨みつらみが噴出して、きっと大批難・大殺戮大会になるだろう。考えられる限り、ありとあらゆる卑劣さを相手国にレッテル付け、自分達は「大正義」と胸を張る。そして、バンバン相手を殺しまくる。毎日のTVニュースなんかでも、特設コーナーを作って、「今日のストーリー展開」とか、無茶苦茶煽るわけ。熱狂すると思うよ。

もちろん、殺戮は結構だけど、実際には戦争したりしない。相手の書き方に悔しく思っても、実際に殴ったりしちゃいけない。あくまで、バトルは小説の中だけ。「畜生。今度はこんな展開になったけど、この次はひっくり返してやるぞ」と張り切るだろう。じゃなかったら、「相手はあれだけ面白いものを書いてきた。こっちも負けないぞ」とか。だから、『帝都物語』とか『グイン・サーガ』ではないけれど、波瀾万丈の大長編小説になるのは間違いなし。もちろん、売れ行きもすごい。中国、韓国の人たちが熱狂するのだからね。市場は大きい。出版界にとっては起死回生の策だね。

でも、殺戮の場面を、毎回毎回延々と見せつけられると、だんだん飽きてくるよね、きっと。自分達の恨みを晴らす行為とそっくり同じこと、いやそれ以上のことを相手もやってくる。それを上回ろうと頑張る。でも、サイテーのことをなるべく発想しようとする自分達もサイテーじゃないかと気づく。そのうち、「みっともないから、もうこんなこと止めようか」と言い出す人が出てくるだろう。だんだん売れなくなる。そしたら、そこで打ち止め。以後、相手の国をあしざまに言う人は「下品だ」という合意が出来る。

一方、小説は「日中韓共同古典」として、小中学校で必修教材とする。タイトルは「三酔民悪口問答」。ありとあらゆる人間の悪意が陳列されている希有の作品として、人間性の勉強にも最適。チャンチャン♪♪



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