2010年4月

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国民的うつ?

インドネシアに来て2週間になります。昨日は携帯電話が鳴ったと思ったら、日本からの仕事依頼の通話でした。一方で、バリにいて、日本にはメールで原稿を送り、編集者から校正が届く。もちろん、ボカボ受講者の添削もサクサク。情報機器を駆使すれば、もうどこにいても関係ない。グローバル化の進行を実感しますね。

とは言っても、昨日も停電してインターネットは止まったし、温水器の調子は相変わらず良くないし、途上国風インフラ欠乏感覚も満喫(!?)。よく途上国では先に飛行機による交通が発達し、鉄道などの交通機関がうまく行かないとよく言われたけど、そういう感じかな?

ちょっと気になるのが、日本人が「外」に興味を失っている様子です。バリに来る日本人観光客も少ない。とくに、学生の旅行が減っているとか。「もう卒業旅行なんてやっている場合ではない」ということらしい。そういえば、海外に留学する人数が10年前より40%減っているという記事も見ました。

旧知のバリ在住日本人に聞くと、「将来の不安からか、お金を使う気にならないらしいんですよね」と言う。こっちではそんなに贅沢をしなければ、そんなにお金はかからないはずなのだけど、そのお金がないないと繰り返す。そのくせ、日本の家に行ってみると、通販で買った使いもしない商品が山積みになっていたりするらしい。「何かバランスが悪いですね」。

これは病気の一種かも知れないと思います。この間、友人の一人の鬱状態が悪くなったときに、私は病院に入院したら、と提案しました。ただ、差額ベッド代がかかるから、数十万の出費になる。でも、状態が良くなるなら良いじゃない。返事は「お金ないから行けない」。その後しばらくして、彼は自殺。後で聞いてみたら、入院費用ぐらい軽く出せたはずだとか。死ぬ気があるくらいなら、お金を出して元気になればいいのに。

「でも、そうなっちゃうのが病気なのよ」と鬱病をずっと見てきた別の友人は言います。「いい解決法があっても、お金がないないと心配すること自体が、実は症状なのよ」。そうか、彼の言うことなんか尊重せずに、力ずくでも入院させれば良かった。でも今となっては後の祭り。

その意味で言えば、今の日本人は国民こぞって鬱になっている状態かも知れませんね。お金がないからと家に閉じこもる。そんな行動がかえって状態を悪くしているのに気がつかない。発想を変えないといけないのに、ひたすら倹約し、それがますます自分を生きにくくするという止めどない悪循環。経済学で言う「合成の誤謬」と似ているかな。

鬱の人に対するアドバイスとしては、「お風呂にはいること」「ご飯をきちんと食べること」などが一番良いらしい。だとすると、今の日本人に必要なのは「外に関心を持つこと」「大切なことにはきちんとお金を使うこと」の二つだと思うな。お金を使えることは自分にとって大切なことになる。これが良い循環を生むのです。

「お金がないから何もしないというのは症状の一つ」。万事に消極的になっている人には、ホントにかみしめてもらいたい言葉ですね。

 

4/6

バリは寒冷化?

またインドネシア・バリ島に来ています。ところが今年は天候不順。雨期でもないのに、毎日雨が降る。昼ぐらいまでは晴れるのだけど、午後は雷がごろごろ。夕方から夜にかけて、ざーざーと雨が降る。雨が多いせいか、いろいろ不具合が起こる。

まず二日間ほど停電。当然インターネットは不通。水道ポンプも止まる。三重苦の生活。しようがないので、しばらくお風呂のかわりに、私はプールに浸かって水浴びしていました。真夜中、雨が上がった頃、階段を下りて下のプールに行く。満天の星を見ながら、あるいは満月を見ながら、しばしプールに浸かる。風呂より数段気持ちがよいという考えもありますが、やっぱり面倒な感じが残る。

バリ人たちも調子が狂ったのか、皆風邪を引いて。咳をしたり熱が出たりしている。昨日も電気工事をしてくれるワヤンも雨の中で作業して寝込んだ。寒気がして、ベッドの中でふるえているという。

こういう状況にいると、どこが温暖化なのか、と不思議に思う。日本でも四月とは思えないくらい寒いんですって? 北極の氷が溶けて、シロクマが困る、などと言われても、自分達の方が心配だよね。

実際、「地球温暖化」については、いろいろ問題が出てきている。日本では報道が少なかったけど、クライメットゲート事件知ってますか? 温暖化論者の学者のメールがハッキングされて、「地球温暖化が進行しているというトリックを完成した」とか「温暖化反対論者には論文掲載させない」などの内容が明らかになった。

温暖化論者が科学的というより、きわめて政治的な暗躍をしていたというので、欧米では大騒ぎ。「地球温暖化」とは、凋落しつつあるヨーロッパが何とか世界政治での主導権を保とうと、でっち上げたものだという見方があるらしいけど、さもありなんと思わせる事件でした。

ある学者は、前近代では人口の多い国がパワーを持っていたけど、ポスト近代も同じようになるだろうと言っている。つまり、世界全体で技術の水準が一定しているので、後はそれを実行する人が何人いるか、の問題で国力が決まるからだという。実際、前近代では中国とインドが大国だった。

それが近代にヨーロッパが世界の頂点に立ったのは、技術の差が大きかったからだという。産業革命を起こして、エネルギーの源と使い方が大きく変わった。その導入が早かったヨーロッパが世界征服をして、アジアを植民地にした。しかし、現在のインターネットのように、主要技術が世界中にあっという間に広まる時代には、技術の差はすぐ埋まるから、世界制覇をしている余裕はなくなる。人口の多い中国とインドが大国になり、人口の少ないヨーロッパは凋落。

それをさせまいとして起こしたのが、温暖化運動という見方なのです。ヨーロッパ主導で「地球環境を守ろう」というイメージ戦略を始める。しかし、温暖化を進行しないようにするには、経済成長を止めるしかない。つまり、現在の南北の経済格差の固定が起こる。必然的にヨーロッパは今の地位を守れる、というわけ。

これは、陰謀論の一種なのだろうけど、近頃のCOPなどのやり口を見ていると、そういう思惑がまったくないとは言えない感じです。クライメットゲート事件がその疑念をますます深めた。

この間、ある環境法の専門家に聞いたのだけど、CO225%削減なんて不可能に決まっているというのです。実行すると1970年代レベルに生活を落とさねばならないとか。しかも、日本がそれだけ頑張っても、中国やアメリカなどは協力しないから、温暖化に与える影響は微々たるもの。それなのに、わざわざ削減を言うのはたんなる「良い子ぶりっこ」だとか。そういえば、「トヨタ問題」がアメリカ車の覇権失墜という危機感に後押しされているように、オーストラリアの、あの常軌を逸した捕鯨反対運動も、白豪主義消滅寸前のヒステリーだと考えれば、つじつまが合うかもね。

もしかしたら、「地球温暖化」とは1990年代から始まった壮大な「妄想」なのかもしれない。この頃のメディアでは、よくつまらないことがステレオタイプの言説でフレームアップされて大問題になるという現象が起こる。終わってみればあれは何だったの? という感じ。

近いところではセルビアの「民族浄化」キャンペーン。鳥インフルエンザなどの「感染症」もそう。ワクチンが使われなかったことから見ても、インフル騒動が作られたブームだということがよく分かる。その嚆矢がもしかしたら「地球温暖化」? ブルブル…バリ島、雨の日の怪談でした。


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