2010年5月

5/27

勉強のパワー

また、十日(以上!)坊主になってしまいました。世の中が沈滞ムードながら比較的平和な感じがするのと、こちらが『社会人入試 典型問題攻略編』制作に没頭していたので、何となく書く気にならなかったのです。

『社会人入試の小論文 典型問題攻略編』は6月中には出版されます。医学部編入からMBA、公共政策まで、さまざまな専攻の小論文問題の解き方を一挙公開。前著『社会人入試の小論文』の方法論に従って解説したチョー密度の濃いエクササイズ集。全408ページ。ページ数が多いだけでなく、我ながら充実した内容だと思っています。

日本の世の中が沈滞ムードで、若い連中がやたらと「就活」にばかり血道を上げている現状にあえて逆らって、「人生を自分の手で切り開いていく」人々を応援したいと思います。

それにしても、現代の若者は気の毒ですね。町を歩くと、黒いリクルートスーツに身を固めた若者がぞろぞろ歩いている。大学3年の後半から就職活動に入り、大学4年の夏まで忙殺されるのだとか。現実的には、ほとんど一年間は大学を休学状態になる。

私の時代は、若者=対抗文化という位置づけだったので、そもそもリクルートスーツなんてなかったし、就職活動に一生懸命になる風潮をどこかバカにしていました。そういえば、その当時出席していた数理統計学のゼミでは就職活動もあったと思うけど、せいぜい四年生の夏休み後ではなかったかな? それも二ヶ月ほどで片が付く。夏休みの合宿は、みんなとにかく伊豆でワイワイ。楽しかったな。それが、一年間も就職のために駆け回るなんて、世も変わったものです。

この時代の一年間は貴重です。一生懸命やれば本当にいろいろなことができる。本を何十冊も読む。レポートを何十も書く。勉強に没頭する。毎日新しい発見があり、一日一日と自分の成長を確認できる時間。学生生活は、ある意味で知的パラダイス=アジールでした。機会があれば、もう一度戻りたいぐらい。そもそも、今の私の仕事なんて、あの時に培ったテクニックでやっているようなものです。毎日資料を読み、構想を練り、原稿を書く。大学での勉強は、実社会では役に立たないなんて言うけれど、私の場合は明らかに役立っている。

大学がそういうアジールではなくなり、経済の論理が露骨に侵入する。一年を就職活動に費やすなんて、ほとんど大学の機能破壊ですね。これじゃ教養に欠け、従順なだけで、知識・判断力に欠陥がある人間ばかりが量産される。でも、そういう人間が本当にこれからの企業に役立つのだろうか? 日本のやっていることは、時代に逆行している気がします。

昔、モラトリアム人間なんて言い方が侮蔑的に言われたけど、現代では、むしろモラトリアムの時期を自律的・積極的に作りださないと、個人は強大な企業や経済の論理に蹂躙されっぱなしになる。それが持てない人は一見現代社会に適応したように見えるけど、企業や経済が想定する人間類型にすっぽり入るだけ。結局、企業や経済の変化に対して抵抗できず、極端にもろい(vulnerable)存在になるわけです。

アメリカを中心とした世界経済が崩壊に向かいつつある中、こういう人々は変化の急激さに翻弄されることになるでしょう。かなりヤバイ方向ですね。経済に押し流される状態にいったん抵抗し、自分の進むべき方向をあらためて立て直す。『社会人入試の小論文 典型問題攻略編』が、そういうきっかけになってくれればいいのですが…


5/13

妄想漫談…へなちょこナショナリストの大暴言

え〜夏日が続いたかとおもったら、また涼しくなっちゃいましたね。北の方なんか雪まじりだってさ〜、五月だっていうのに。こんなんじゃ、へなへなと気持ちが萎えちゃう。論理が脱臼するっていうか。

なんですな〜、普天間基地に反対する徳之島の集会が開かれたとか。おめでたいことです。マスコミは、それを「反戦の集会」や正義の味方のように言っているけど、どうなんだろうねえ〜。

あの人たちは、ただ沖縄の基地を自分のところに持ってきて欲しくないだけじゃないの? 要するにおれんちの裏庭でなければどこでもいい、Not In My Backyard=NIMBYの極致。ゴミ処理工場とか原発などの迷惑施設と同じ次元なんだ。こういうのって、昔「住民エゴ」だってさんざ非難されたような気がしたのだけど。いつから英雄視するようになったわけ?

そもそも、アメリカ軍の基地が来たら、どんなにあの島は潤うか、本音を言わないのは何故なんだろう? 職場は倍増し、若者たちは帰ってきて、島の経済は成長するんだぜ。少子高齢化、一挙解決。自然が破壊されるなんて、センチなこと言うけれど、田舎には自然なんて腐るほどある。人間が生きられない自然なんか一文の価値もない。その意味で、アメリカ基地が来たら究極の「むらおこし」。これで「地方再生」ができたら、どこの都道府県でも競ってやりたいんじゃないの?

沖縄だって、経済的には基地があった方がいいに決まっているでしょ? だいたい沖縄の男性失業率は13%を超えているんだよ。基地がなくなったら、きっと倍になる。日本の失業率はアメリカと同じ状態でも、統計の取り方で約半分の数値になる。だから、アメリカ流に言ったら、今でさえ実質27%以上。驚愕の数字だよね。1929年の世界大不況なみ。これで基地がなくなったら失業率は50%かな? すごすぎ。皆どうやって生活立てるの?

だからね、沖縄では「基地反対」の暴動が起こらないでしょ。基地がなくなって欲しいと心から思うのなら、暴動を起こってしかるべきだよね。チベットの暴動より派手な奴。「沖縄の怒り爆発!」とか、新聞はうれしがって報道するだろうしね。韓国だってフィリピンだって、そういう事件がバンバン起こったから、アメリカは基地を止めたり縮小したりしたんだぜ。日本人が本気でやってできないはずはないよ。

それが起こらないなら、日本人や沖縄人の腰は何だか引けてるよな〜、とアメリカ海兵隊に侮られても仕方ないんじゃないの? 迫力ないよな日本人。

文句言うなら、鳩山なんか通り越して、直接オバマに言え! オバマに! 黒人大統領だから、虐げられた沖縄人の気持ちを痛いほど分かってくれるのでは? でも、アメリカ人のオバマ支持率は鳩山と同じで、すごく下がっちゃったからダメ? あっそう。だったら「日米安保を破棄する」と脅したら? え、それは必要だって? どっちなんだよ。

自民党だったら、もっとうまくやったって? たしかにもっと早く決着しましたよね。「これまで沖縄でやってきたのだから、仕方ないよね」って、スムーズこの上ない。当然、未来永劫基地はなくならない。早期の決着を優先するなら、それが一番いいでしょ。

今の政権は「やってみせます」と大見得切ったものだからすげーモタモタしてる。でも、その「あきらめの悪さ」たるや空前絶後じゃない? ある意味、見上げたモタモタぶり、みっともなさ丸出し。皆自分の右往左往ぶりを見ているような感じがする。だから、からかいたくなる気持ちもわかる。でもさ、国民も本当に基地がいらないのなら、非力な政権を支えるのが筋ってもん。日本人の「判官びいき」の精神はどこに行った?

思うけど、今の時点で、アメリカを非難しないで日本の政権ばかり批難する奴は、皆二重スパイみたいなもんだよね。日本を憂えているふりをしながら、アメリカに対する要求を弱めて、結局、敵=アメリカを利している。これが二重スパイでなくて何だ? しかも、それに自覚がない。まあ、私も含め、そこまで日本人はヘナチョコになったわけ。まったく情けないったらありゃしない。

そういえば、時間が経つうちに、いろいろ分かってきた。実は、沖縄にはあまり海兵隊がいないとか(今はほとんどアフガンとパキスタンにいるとか)、沖縄でなくてもとにかく日本に基地があれば「抑止力」としてはいいのだとか,右派の知識人まで言っていた。もつれこんだおかげで、くわしい事情が明らかになりつつある。これってもしかしたら、現政権の「功績」の一つじゃない?

そしたらさ、現在検討中の、海兵隊の機能をばらして日本中にばらまくってチョーいい案だと思わない? 一宿一飯の恩義。今までの沖縄の苦難を今度は私たちが背負ってやろう。「基地よ、来い! 僕に来い!」って高村光太郎じゃないけど、そんな天晴れなことを言う国士=ナショナリストがでてくるいい機会だと思う。出でよ!侠気のある国士よ!

うーむ、でも、こういう優柔不断の腰の引け方がやはり日本人らしさってもんなのかな〜。つくづく情けないとともに、いっそ愛着が湧いてきます…うん。


5/5

日本のチャロナラン?

日本に帰ってきたら、いきなり近くの三崎神社の例大祭が始まりました。毎年見てはいるのだけど、今年はとくに盛り上がっています。photo日記にも載せたけど、みんな熱狂して御輿を担いでいる。こんなに盛り上がって良いものか、と思うくらい、皆熱心。

そういえば、バリではいろいろ問題が起きると、チャロナランという壮大な儀式をして、悪霊を追い払う。一年前に行ったときは、路上で交通規制して、観光客は一人もいずに、お祭りをやっていた。すごいね。

三崎神社の例大祭もそういう切迫感がどこかに感じられる。未曾有の国難に、神を信じることで立ち向かいたいという切ない願いなのかな。

もちろん、皆が祀る神はプロテスタント風の個人と直面する冷厳な神ではない。共同体を維持してくれる熱い神様です。だから、御神酒も振る舞うし、おなかのすいた人にはおにぎりやいなり寿司も出てくる。逆に、金一封とかジュース一箱とか、住人からのお供えも盛んだ。神と人間がモノをやり取りし、加護を頼むという互恵関係。

三崎神社の例大祭には、浅草の三社祭などと違って、観光客はほとんど来ない。集まるのは、地元商店街の人々と、御輿を担ぎたくって仕方がない助っ人たち。群馬や埼玉からもやって来るという。皆、自分達のためにやっている。担ぐ人が見る人でもあり、見る人もときどき担ぎに回る。自己言及的なお祭りで、何だかカワイイ。

三崎神社もとてもささやかな神社です。ビルに囲まれた中に、小さなお社があるばかり。水道橋駅の直ぐそばなので、しょっちゅう電車がゴーゴーとそばを通る。どうして、こんなところに沢山の御輿が集まってくるのか、本当に不思議。でも、とにかく皆一生懸命真剣に担いでいる。その仕草は本当に可憐です。

集まってくる人は、いつも電車や昼飯時にオフィス街で見るサラリーマンとまるで顔つきが違う。昔、キューバに行ったときに、ハバナの庶民たちの顔が、日本人の弱々しい感じと違って、皆立派なんで驚いたことがある。表情は大きいし、動作は派手。一人一人に迫力がある。全員、映画俳優になれそうな顔をしている。それを思い出した。

風体だけ見ても、ひげを生やしたり、頭をそっていたり、倶利伽羅紋々だったり、いったい日本のどこにこういう人たちが残っていたのか。どこの片隅にこういう強い異形のモノたちが潜んでいたのか。何より男たちはふんどし姿。生足なんて言葉があったけど、ほとんどTバックの世界。イザベラ・バードだったか、シュリーマンだったか、日本人は裸が大好きだ、と書いていたけど、まさにそうだね。おしりを丸出しにした男たちが闊歩する。それが、何ともいなせ。

グローバル化なんて言っているけど、結局我々は身の丈の世界を超えていないのかもしれません。その中で盛り上がり、その中で昂揚すれば満足だ。そういうものだと思う。だいたい収入何億とか言ったって、どうやってそれを使えばいいのか? 楽しくするのにそんな多くのお金はいらない!

御輿を担ぐ人たちは、全身でそれを表していると思います。カワイイ女の子も、格好いい男の子も、皆半径500mの中にいる。それで何が悪いか? 何も悪くない。むしろ、グローバル化しないと、利益が得られないと考えるのが幻想なのだ。海外とつながり、世界に君臨する。そういうTVめいた観念からはおさらばして、今現在の充実の中に生きよう。グローバリズムという悪霊を払う。そんな決意が三崎神社の例大祭に見えるというのは、私の妄想なのでしょうか? 祭りの熱狂を見ると、日本も捨てたものではない、と思えるのです。

 


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