26年 東京大学法科大学院 未修 合格再現 Kさん

 私が思い出せる限りで書いた再現答案です。
我ながら人様に見せても恥ずかしくない回答とは言えませんが、少しでも私と同じようにこれから法科大学院を志す方達のお力になれたら嬉しいです。 

総合問題1

問1.傍線部@について、カントは何を言っておらず、何を言っているのか。120字以内で説明しなさい。  

 カントは、「人びとを手段として扱うことを禁止する」とは言っておらず、人びとを「単なる手段」として扱うことを禁止し、人を手段として扱うと同時に常に目的としても扱うことを要請している。


問2.傍線部Aについて、「そんな考え」とは何か。著者はなぜ、「通用しない」と主張するのか。180字以内で説明しなさい。

 「そんな考え」とは、奴隷主が、奴隷を人間として認識して、その利益を高めることをすれば、奴隷を単なる手段として扱っていることにならないということだ。著者が「その考え」を否定するのは、奴隷主が、たとえ奴隷のために福利厚生などを高めたとしても、奴隷制度がもつ「人を物と同様に扱う」という本質から逃れることはできないからである。


問3. 傍線部Bについて、コンビニのオーナーがアルバイトを雇うことは、「人を手段のみとして」扱うことにあたるか。「応用することの難しさ」に触れながら、450字以内で論じなさい。

 コンビニのオーナーがアルバイトを雇うことは、「人を手段のみとして」扱うことにならない。なぜなら、アルバイトを雇う行為は、被雇用者が労働力を提供する対価として、雇用者が金銭を支払うことに両者が合意して成立するからである。被雇用者は、金銭や働く環境に満足いかなければ、雇用されることを拒めるし、好条件を提示する他の雇用者と働くこともできる。
 たしかに、人を手段として扱わないという考え方を応用するのは簡単ではない。なぜなら、外形的には、人を手段としてのみ扱っているように見えても、道徳的に容認されるような場合があるからだ。そのため、ある行為が、人を手段としてだけでなく、同時に目的としても扱っているかを判断する必要がある。
 この事例では、被雇用者は、労働力を提供するかどうかを自分で決めることができるため、手段とみなされるだけでなく、その存在自体が絶対的な目的/価値があるものとして扱われている。したがって、コンビニのオーナーがアルバイトを雇うことは、「人を手段のみとして」扱うことにはあたらない。


総合問題2

(1)下線部「完了させることのできないプロセスである想起のダイナミズム」とはどういうことか。現代世界における具体的な例を挙げつつ、わかりやすく説明しなさい(300字以内)。  

 「完了させることができないプロセスである想起のダイナミズム」とは、人々が語り合い、集合的記憶を形成する過程のことである。集合的記憶は、語り合う中で変化し続ける物語であるため、終わりがない。
 たとえば、太平洋戦争後、戦争の資料館や記念碑は、戦争の悲惨さ、残酷さを伝えてきた。一方、戦後の混乱期を生きた世代からは、敵国から食料を分け与えて貰ったり、命を救われたりした話も少なからず伝聞された。
 このように、戦争の記憶も共通の枠組みがありながら画一的ではない。戦争を想起するとき、人は醸成された物語に個人の経験をその一部として認識する。つまり、話すたびに物語が再構成されるため「完了」がないと言えるのだ。

(2)文章Aの主張と文章Bの主張の共通点と対立点を説明しなさい
(450字以内)。  

 2つの文章の共通点は、個人的記憶と集団的記憶が存在することである。個人的記憶とは、個人と分離できない情報で、その個人によってのみ想起できる。一方、集団的記憶とは、中心的と評価された過去の一断面を代表する情報で、不特定多数の者によって想起できる。現に、Aは「集団的記憶が単なる個人の記憶の集積ではない」とし、Bも「自分が経験したこと以外に、自分の思い出はない」と述べ、二つの記憶が独立して存在することを示唆している。

  それに対して、対立点は、集団的記憶に個人的記憶を投影して認識できるかどうかである。Aでは、人は物語の中に、自己が経験したことを投影させて再認識すると述べ、集団的記憶への自己投影を肯定する。語り合うことで物語が構成されるため、個人の経験との繋がりは不可分と言える。これに対して、Bは、個人的記憶と集団的記憶を分離して捉えている。集団的記憶は、共通にアクセスできる情報であって、全員の経験の集積ではない。したがって、Bでは、個人の経験を大きなまとまりの一部として了解することはないのだ。

以上